意志力は使っても減らない!じゃあ結局「意志力」ってなんなんだ?みたいな話
「ヤバい集中力」では「意志力は使っても減らないかもよー」みたいな話を強調しております。ざっくりまとめると、
- かつては意志力は有限なリソースだと思われ、使えば使うほどすり減っていくと考えられていた(いわゆる「自我の消耗」理論)
- ところが近年の追試では、使うほど意志力が減る現象を再現できなかった(やる気がない状態でも、追加のごほうびを与えられれば普通に意志力がもどったりする)
みたいな話です。「自我の消耗」理論はかなり広く信じられてきた説だったんで、再現できないときはビックリしましたねぇ。
では、「意志力は使うと減る!」って考え方の代わりに、もうちょい現実をちゃんと説明してくれる理論はないのか?ってことで、「これはおもしろいなー」と思ってるのが2013年論文(R)です。「だれもが偽善者になる本当の理由」のロバート クルツバン先生と「やり抜く力」のアンジェラ・ダックワース先生が手がけたおもしろい論考で、「自我の消耗」に変わるユニークなモデルを提案してくれております。
この論考のポイントをひとことでまとめると、
- 意志力ってのは機会費用の争いなのだ!
みたいな感じでして、経済学っぽい視点から意志力をとらえております。
機会費用ってのは「ある行動を選んだことによって得られなくなった価値」を表す経済学の用語で、たとえば、
- 時給1000円の仕事と時給1500円の仕事があるが、どちらも選ぶわけにはいかない。そこで時給1000円の仕事を選んだ場合は500円の機会費用が発生したと考えられる
- 1時間の作業で1万円の賃金をもらえたが、もしその1時間を別の作業に使えば2万円が貰えた場合は差額の1万円が機会費用になる
みたいな話です。すべての行動には「別の行動をしていたらどうだった?」が隠れてるんで、そのコストとベネフィットをちゃんと計算しないと損するよーってことですね(実際の計算はめちゃくちゃ難しいですけどね)。
で、これが意志力にどう関わるかと言いますと、
- なんらかの行動に意志力を発揮できるかどうかは、別の行動との比較で決まる!
ってことです。機会費用の問題が「あれをしてたら?」で決まるように、人間が意志力を使えるかどうかも他の行動とのコストとベネフィットの比較に左右されるんだ、と。
なんか難しいことを言ってるようですが話はシンプルで、
- 数学の問題がスラスラ解けているうちはいいが、難問にぶち当たると急にゲームで遊びたくなる
みたいなことってあるじゃないですか。これは「数学の問題が解けている」状態は気分が良いのでゲームと比べて機会費用が低いんだけど、「問題が解けない!」って状態は気分が悪いので、ゲームと比べた場合の機会費用が急に上がっちゃったんだと考えられるわけっすね。
この現象について、クルツバン先生は「脳の実行機能はいろんなことに使えるので、最も価値がある活動に使われていると保証するシステムがあれば適応的だよねー」と言ってます。これまたわかりづらい表現ですけど、だいたい以下のような話です。
- 脳の処理能力は勉強とかゲームとか家事とかいろんなことに使えるけど、できるだけ自分にメリットがある行動に使うほうが良い
- そのためには、「いま自分はメリットがある行動をしているのだ!」と本人が判断できるような仕組みが備わってないといけない
- つまり、「やる気がでない」とか「他のことに気が散ってしまう」って現象は、機会費用を見極めるために脳が備えたシステムなのだ!
たとえば、いかに「やる気が出ないなー」とか思ってても、他人からほめられたら急にモチベーションが上がることは誰にでもあるでしょう。これは脳に「いま機会費用が変わったぞ!」と教えるためのシステムなんじゃないの?ってことです。確かに、こっちの方が「自我消耗」より現実をうまく説明してる気がしますね。
つまり、ここから得られる教訓としては、
- 意志力を発揮できるかは、同じ時間で行える行動との比較で決まる(「意志力を出すには環境を変えよ!」みたいなアドバイスは、ここに効いてる可能性がでかい)
- 意志力を発揮できるかは、その行動の主観的な価値に依存する(「この勉強は何のためにやってるのかを考えよう!」みたいなアドバイスは、ここに効いてる可能性がでかい)
- 意志力を発揮できるかは、報酬のレベルで決まる(「この勉強が終わったらゲームできる」みたいなルール設定は、ここに効いてる可能性がでかい)
みたいなことがありましょう。要するに、世間でよく言われるモチベーションアップの技法も、「意志力の機会費用仮説」からながめてみたほうがわかりやすいのではないか?ってことですね。まぁ、この仮説がどこまで正しいかはまだ謎ですが、個人的には説得力を感じましたねー。