IQテストの意義を再考する:知能の新しい評価方法とは?って本を読んだ話
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「知能の尺度(A Measure of Intelligence)」って本を読みました。著者のペッパー・ステットラーさんは、マイアミ大学で人文科学センターの副所長を務める先生で、知的障害に詳しい博士だそうです。
本書のテーマは“IQテスト”で、ステットラー博士の娘さんが知的障害と診断されたのをきっかけに、「知能とは?」って問題を深掘りするようになったそうな。その点で本書は母親の葛藤の記録を描く本であり、IQテストの社会的な影響を描く本であり、知能と成功の再定義を迫る本であり……って感じで、いろいろな要素がからみあった良い本でした。
ってことで、本書で勉強になったポイントをまとめてみましょうー。
- 著者の娘はダウン症のため、幼稚園に入る前にIQテストを受ける必要があった。その結果、著者は、IQテストが教育や心理評価の分野でどれほど重要視されているかを理解するに至った。また、現代社会では、スピード、効率性、短期記憶力といった、IQテストで評価されるスキルや能力を重視する価値観が作られていることも理解した。
これは、現代のIQテストが、ただの心理学的なテストという枠を超えて、教育システムの設計、子育ての指針、成功者の基準を形作っていることを意味する(特にアメリカではこの側面が大きいらしい)。
- しかし、現代人が持つIQのイメージは、20世紀初頭に作られた考え方をそのまま引きずっている。IQテストは、人口の大移動によりアメリカ人のアイデンティティが大きく揺れ動いた激変期に登場したもので、当初は遺伝的な劣性や異常を特定する手段として使われた。
1912年、米国公衆衛生局は米国に入国する移民たちにIQテストを行い、イタリア人の79%、ハンガリー人の80%、ユダヤ人の83%が知的障害者だと結論づけた。これは明らかにテストの方法や精度に深刻な欠陥があることを意味するが、それでもIQスコアは差別の温床になり続けた。
こうした慣行は今でも完全に消滅したわけではなく、2007年に米政府が実施した調査では、黒人の生徒が知的障害者として認定される可能性が白人の生徒よりも3倍高いことがわかった。
もちろん、現代でIQテストを使うのが間違いだとは言わないが、より公平な世界を築くためには、知性を理解する方法や、その価値の評価方法を再構築する必要がある。
- 心理学者がIQテストを開発したのは、“知能”のことを、心拍や呼吸と同じように測定可能な生物学的特性であると信じていたからである。この考え方は現在でも根強く、多くの研究者が、知的能力を決定する遺伝子の特定の組み合わせを追求している。しかし、知能を左右するのは生物としての特性だけでなく、歴史の産物として考えることも重要である。
- これは、IQテストを拒否するという話ではなく、IQテストで測定されるスキルに遺伝が関わる事実を否定するといった話でもない。しかし、知性を評価し定義する方法をより広いレンジで取ることで、より多くの人々、特に現在の知能の基準では価値を認められない人々に機会を提供することができる。
- 事実、近年は複数の心理学者が、“知能テスト”の意義を再考しようと試みている。従来の考え方では、“知能”を「優越性」「独立性」「自立性」と結びつけ、これを人間の価値としていたが、新しい評価方法では「相互依存性」や「社会的つながり」を重視する。
これは、知能テストによって人間のトータルの価値を測るのではなく、私たちがどれだけお互いを思いやり助け合っているか、またはその人が家族や学校、地域社会からどれだけサポートを受けているかを測るモノサシとしてとらえ直す試みである。
- 著者がインタビューを行った心理学者の多くは、IQテストの認識を変えつつあり、 その大半が、「IQテストを使って、その人がどれだけ特定の環境下で自分のニーズを満たせているか?」を評価する方向に重点を置こうとしていた。 このような変化は、その人自身よりも、環境や社会状況に変化をもたらすことを重視するものである。
そのため、これらの認識を持つ心理学者は、IQの総合的なスコアには関心を持っていない。その代わりに、IQテストによって、特定の認知能力の強みと弱みのバランスをチェックする方法を改善する方向で取り組んでいる。
- 著者の娘が、これから微積分を学んだり、20ページの研究論文を書いたりするようになるかどうかはわからない。しかし、ここで最も悲劇的な未来とは、ダウン症であることを理由に娘の価値を制限し、特定の技術を習得したり、地域社会に貢献したりする能力がないと決めつけてしまうことである。知能の再考は、この悲劇を防ぐ力を持っている。
- それと同時に、今後は“成功”の基準を「他者からの優越」から「自分自身であること」へとシフトしていくべきだろう。 人間の成功に明確な基準はなく、それぞれが願わくば個性的で計り知れない方法で現れてほしい。
そのためには、私たちは他者との比較から目を背け、成功や幸福を追求する個人中心の充足に向かう必要がある。 このようなアプローチを提唱しないのであれば、“知能”の意義はよくわからないものになってしまう。