「最高の体調」のボーナストラック編#4:「ジョー・シンプソンの受難」
「最高の体調」に収録しきれなかった文章を紹介していくコーナーでーす。
おかげさまで大増刷が決まりましたので、いまは書店でも手に入りやすくなっております。ネット書店も在庫が安定しましたので、ご興味があればお買い求めください。
さて、ここで紹介するのは、第8章「遊び」に収録する予定だったパートです。252ページから「生産性が異常に高い人はどのようなタイムスケジュールで動いているのか?」ってポイントを紹介してるんですけど、その直前に入れようかなーと考えておりました。
内容は1985年に起きた雪山遭難の事例をとりあげたもので、これが「人生のゲーム化」の事例としてすばらしく参考になるんですよ。第8章の補遺として読んでいただければ幸いです。
いかに登山家は絶体絶命の危機をくぐり抜けたか
1985年、登山家のジョー・シンプソンは、標高6,344メートルを誇るシウラ・グランデ山の氷壁から落下し、右膝の骨を粉砕骨折する怪我を負いました。
五体満足でも生き抜くのが難しい冬山において、足の怪我は死を意味します。同行者のサイモンは、事故の直後こそ気丈にふるまったものの、最後は絶望に負けてジョーをクレパスの下に置き去りにしました。まさに極限の決断です。
どう考えても生存の可能性はゼロでしたが、ここで彼は常識を超えた精神力を発揮します。激痛に気を失いそうになりながらも、折れた足を4日にわたって引きずり続け、ついにはベースキャンプへの生還を果たしたのです。
この奇跡は、いかに成し遂げられたのでしょうか?
「ただ歩く」という禅の境地に似た状態
その秘密について、彼はこう証言しています。
「クレパスの底で、私は赤ん坊のように泣きじゃくった。ここから脱出するためには、どうにかして自制心を取り戻さなければならない。
しばらく足を引きずっていると、やがて私の歩みに一定のテンポが生まれたため、私はそのパターンを注意深くくり返すことにした。そのうち私は周囲の環境から切り離されたような感覚になり、歩みのパターン以外はなにも考えなくなった」
絶体絶命の危機を救ったのは、前章で取り上げたマインドフルネスの感覚でした。絶望を受け流して現在だけに意識を向けることで、ジョーは「ただ歩く」という禅の境地に似た状態を作り出したわけです。
20分のリミットを決めてゴールを目指す
とはいえ、これだけ絶望的な状況において、マインドフルネスを維持するのは並大抵ではありません。粉砕骨折の痛み、マイナス60度を超える体感温度、空腹と喉のかわき、死の恐怖。いつ絶望に飲み込まれてもおかしくなかったでしょう。
そこで彼が使ったのが、「遊び化」の発想でした。
最初に「次はあのクレパスまで歩く」という目標を決めたうえで腕時計のタイマーを20分にセット。制限時間内にたどりつけたら新たな到達点を決め、また20分のリミットを決めてゴールを目指す作業をくり返したのです。
「私は自分の状況を見て思った。『あのクレパスに20分以内に到着しよう。それが自分がやるべきことのすべてだ』……そして、やがてこのアイデアは頭から離れなくなっていった」
「現在のミッションをクリアする」というゲーム的な感覚
この現象を「未来と現在の心理的な距離」という観点から見ると、次のような解釈になります。
第一に、ジョーが置き去りになった時点で、ベースキャンプまでの距離はまったくわかりませんでした。下山までどれだけ歩けばいいのかは定かではなく、そもそもクレパスの底に道があるのかすらはっきりしません。
この時点で彼の将来には死のほかに確かなものがなく、現在と未来までの心理的な距離は限りなく遠くなります。そのせいで未来の予期不安は激増し、いつ死を選んでもおかしくない状況です。
ところが、ここで彼は、未来を今に近づけるほうを選びました。「20分で次の岩まで歩く」といった明確なルールを設定することで、遠くなった時間感覚をコントロール可能な範囲まで縮めたのです。
そのおかげで未来への不安は限界まで消え、あとには「現在のミッションをクリアする」というゲーム的な感覚だけが残りました。先の見えなかった脱出行が、数個のステージにわかれた「遊び」の空間に変わったのです。
これが、ルール設定の力です。シンプルな決まりで現在と未来の距離を縮めれば、死地をも生き抜くだけのモチベーションがわくのです。
おまけ
ってことで、ジョーさんの脱出行のお話でした。この逸話については、本人の自伝が発売されている他、本人主演のドキュメンタリー映画にもなってますので、興味がある方はどうぞ。どちらも名作ですんで。