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今週半ばの小ネタ:孤独と糖尿、虚無感とボディタッチ、ポリコレと信頼感

Summary

ひとつのエントリにするほどでもないけど、なんとなく興味深い論文を紹介するコーナーです。

   

孤独感が糖尿病を発症させるかも?

孤独感が与える悪影響は「最高の体調」にも書いたとおりですけど、今度は「孤独は糖尿病の発症とも関係してるよ!」って話(R)が出ておりました。

 

 

これは50歳以上の男女4,112人を15年間にわたって追跡調査した研究で、期間中に264人が2型糖尿病を発症したらしい。ここから、喫煙、アルコール摂取、血糖値、うつ病などの因子を調整したところ、

 

  • 孤独な人ほど糖尿病になりやすい!

 

って傾向が出たらしい。サンプルとしてはそんな多くないんでアレですが、チームいわく、

 

孤独な気持ちが慢性化するとストレスシステムが毎日刺激され、時間をかけてあなたの体をすり切れさせていく可能性がある。

 

孤独感のストレスが体に悪いのは間違い無いので、病気の発症につながる可能性はあるかなーという気はしますね。

 

 

ただし、ここからは別の知見も得られていて、

 

  • 孤独といっても、たんに社会から孤立してたり友人がいないだけでは糖尿病と相関しない

 

みたいな傾向も出てたりします。あくまで重要なのは「俺って孤独だな……」という主観的な感覚であり、友達の有無やら社会になじんでるかどうかは無関係みたいですね。

 

COVID-19パンデミックで英国がロックダウンされるなか、私たちは孤独が人間の健康に与える影響についていよいよ興味を持つようになった。パンデミックの期間中、多くの人は孤独による慢性的なストレスを感じていた可能性がある。

 

ってことで、孤独が苦手な肩はくれぐれもお気をつけください。

 

 

 

自分の人生には意味がない……はボディタッチで解決する?

自尊心がない人は、一般的に「自分の人生には意味がない‥…」と思ってしまいがち。自分に対して肯定的な態度がないせいで、どうしても意味の感覚が生まれにくくなるわけですね。

 

 

が、ここでアムステルダムのVU大学の先生方が、こんなことを言っておられました(R)。

 

人間関係におけるほんの少しのボディタッチでも、実存的な不安をより効果的に対処するのに役立つかもしれない。

 

実存的な不安ってのは哲学の世界で使われてきた言葉で、「私は何のために生きているのか‥…」とか「私には存在価値がないんじゃないか……」みたいに、自分の存在へのおぼつかなさを意味しております。自尊心がない人ほどこのタイプの不安に襲われがちなんですが、これが軽いボディタッチでもやわらぐのではないか、と。

 

 

研究チームがどんな実験をしたかというと、

 

  1. 大学のキャンパスを歩いている学生に声をかけ、「死の不安」に関するアンケートに答えてもらう
  2. その際、一部の参加者の肩甲骨に研究者が1秒ほど手を触れた後で、アンケートに答えてもらう

 

みたいな感じです。すると、肩甲骨を触られた学生は、そうでない学生よりも「死の不安が少ない!」と報告したんだそうな。たった1秒だけでも不安レベルに明確な違いが出るかもしれないわけですね。

 

 

また別の調査では、参加者に「自分の死について考えてくださーい」と指示したんですけど、ここでもやはり軽く体に触れられたグループは「社会的なつながりの感覚」が下がらなかったらしい。とにかく実存的な不安には身体的な触覚が必要なのかも?ってとこですね。

 

 

チームいわく、

 

私たちはみんな実存的な不安に対処しなければならないし、人生の意味を見つけるのに苦労する瞬間がある。そこで今回の調査結果は、宗教的な信念などを持たなくても、人との触れあいによって実存的な安心感を得ることができることを示している。

 

とのこと。確かに「人生が空虚だ‥…」と思う日は誰にでもあることなんで、ここらへんの話は覚えておくといいかもですねー。

 

 

 

政治的に正しい言葉を使う人はどんな印象を持たれるのか?

ポリコレって考え方が生まれて幾星霜。他者を思いやる言い回しとして流行る一方で、気に食わない他人を殴る棍棒として使われるケースが多いのはご存じでしょう。難しいっすねぇ。

 

 

で、近ごろの研究(R)では「ポリコレ的な言葉を使う人はどんな印象を持たれるのか?」みたいなポイントを調べてておもしろいです。

 

 

これは4,956人を対象にした試験で、どんなテストかと言いますと、

 

  1. 参加者にスピーチ原稿を見せて、その内容を聴衆に伝えようとする政治家の姿をイメージしてもらう
  2. 政治家にどんな印象を持ったかを尋ねる

 

みたいな感じです。スピーチの内容はトランスジェンダーと移民政策に関するもので、それぞれ政治的に正しいバージョン(「LGBTQの人たちは社会の中で最も不利な立場にあり、守るために全力を尽くさなければならない」)と正しくないバージョン(「LGBTQの人たちは、自分のジェンダー・アイデンティティについて混乱していることが多い」)を用意したそうな。

 

 

すると、全体として「ポリコレなスピーチ」を読んだ参加者は、「この政治家は温厚だけど信憑性は低いな‥…」と評価する傾向が強かったそうで、話の内容を好きか嫌いかに関わらず、すべての参加者の間で一貫してたらしい。

 

 

また、この研究では、現実の政治家が実際に行ったスピーチの評価も行ったんですが、結果はやはり上と同じ。政治的に正しい演説をする政治家は「時間がたったら違うスタンスを取るかもしれない‥」と思われやすかったようで、どうもポリコレ的な話法には印象のトレードオフがあるみたいですね。

 

 

まぁ政治的な正しさを追求すると、どうしてもギコちない表現にはなるんで、そこらへんが「なんか怪しい‥…」って印象につながるのかもしれないっすね。一方でトランプさん的な政治的に正しくない言葉は、冷酷に見えるものの「この人は正直だ!」って印象を与えるんで、そこは使い分けなんでしょうな。

 

 

 

 


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1976年生まれ。サイエンスジャーナリストをたしなんでおります。主な著作は「最高の体調」「科学的な適職」「不老長寿メソッド」「無(最高の状態)」など。「パレオチャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/paleo)「パレオな商品開発室」(http://cores-ec.site/paleo/)もやってます。さらに詳しいプロフィールは、以下のリンクからどうぞ。

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