「俺は人見知りだ!」と宣言することのデメリット
「人見知りを認めるのはデメリットがあるぞ!」ってポッドキャスト(1)がおもしろかったんでメモ。
これはケンブリッジ大のブライアン・リトル博士へのインタビューで、性格と幸福の関係をテーマに語ったもの。リトル博士の「自分の価値を最大にするハーバードの心理学講義」は、わたしも「2014年に読んだ本」の8位に選んでおります。邦訳版は読んでないけど、たぶんおもしろいはず。
で、このなかでリトルさんが言ってるのが、「自分を『人見知り』とだけ定義しちゃうともったいないよ!」って話であります。
以前にも書いたとおり、いまの心理学では人間の性格を大きく5つにわけてまして、
- 外向性:外部の刺激によってモチベーションがわくタイプ。自己主張ができて活動的。逆に内向的な人は、自分の内面の思考や感情でモチベーションがわくタイプ。
- 開放性:どれだけ新しい体験が好きかを示す指標。新しい情報や勉強が大好きで、悪く言えばミーハー。
- 調和性:対人関係への順応性が高く、親切で優しい。他人にも優しいのがメリットだが、めんどうを避けがちになるデメリットもある。
- 神経症傾向:感情が安定しているかどうか。この数字が高いと外的な刺激に弱く、すぐに不安や心配がわきあがっちゃう。よくいえば外部の情報に対して敏感で繊細。
- 誠実性:セルフコントロール能力が高く、決めたことをコツコツやって目標を達成するタイプ。ただし、あまりに誠実性が高過ぎると、創造性に悪影響が出ちゃうことも。
みたいな感じになっております。このうち、「人見知り」のキャラは、おもに内向性と神経症傾向に大きく関わってるケースが多め。
つまり、ひとくちに「人見知り」と言っても、
- 人見知り+開放性
- 人見知り+誠実性
- 人見知り+調和性
- 人見知り+etc…
といったバリエーションがいくつもあるんで、自分をひとつの類型にハメこんでも意味がないって話であります。
リトルさんいわく、
自分のアイデンティティを、ビッグ・ファイブのひとつだけに当てはめてしまうのは危険だ。そのせいで人生の自由度が減り、自分が信じる価値にもとづいた人生を作れなくなってしまう。
とのこと。確かに生まれつきの人見知りはいるけども、そこだけにフォーカスすると、人生の可能性を見失っちゃうぞってことですな。
ここでリトルさんが例に出してるのが、2013年の有名な論文(2)であります。これはカールトン大学の実験で、内向的な参加者を400人以上も集めて「見知らぬ人に声をかけてみて!」という指示を出したんですね。
そこでわかったのは、
- 人見知りは、他人との会話から得られる幸福感を甘く見すぎな傾向がある
- しかし、人見知りを自覚している人でも、見知らぬ人に話しかけてみたら幸福度があがった
というもの。つまり多くの人見知りは、パーティに誘われると「そんなのつまんないでしょ…」と思いがちなんだけど、試しに行ってみたら、外向的な人と同じぐらい楽しめる素養はあるってことですな。
かく言うわたしも、人の集まりに呼ばれると引いてしまうタイプなので、耳が痛いところ。リトル博士も極端な人見知りなんだけど、授業のときは思いっきり外向的なキャラを演じているそうな。
もちろん内向的なキャラは変えられないんだけど、自分の価値観にあった場面では、あえて外向的にふるまったほうが可能性は広がるんだ、と。まぁそうかも。
いずれにせよ、「人見知りは他人とのコミュニケーションで得られる幸福感を低く見積もりがち」ってあたりには激しく納得。だから出不精になるんだな…。