日本の高齢者が不安を抱えながらも「静かな希望」を持っている理由とは?みたいな話
楽観的な人は長生きで人生の成功レベルも高いといった話はよくあるわけです。なので、歳をとっても楽観的な態度を保つのがとても大事なわけですが、新しい研究(R)では、
- 感謝の態度を持つ日本の高齢者は楽観的だ!
って結論になってて面白かったです。これはエクセター大学の調査なんですが、大阪にすむ80歳以上の人々にインタビューをしまくった内容になってます。民俗学的フィールドワークみたいな感じっすね。
で、まずは本論の大きな結論からまとめると、
- 日本の高齢者の多くは、もちろん将来についていくばくかの不安を感じていた
- しかし、同時に高齢者の多くは「静かな希望」と呼べる感情も育んでいた
みたいになります。高齢者に不安がないはずはなく、みんな「認知症になるのでは?」や「子供たちの負担になるのでは?」みたいな気持ちは持ってたそうな。
ところが、いっぽうでご老人たちは不安を受け入れる姿勢を見せ、地域の人たちとうまくやり、なんとなく「どうにかなるだろう」と思ってる人が多かったらしい。めちゃくちゃ幸福ってわけではないものの、それなりに楽観的で安心感のある姿勢を、筆者は「静かな希望」と呼んでるわけっすね。言われてみれば、こういった低体温な幸福感は西洋には珍しいのかもですな。
では、なんでこういった態度が生まれるのかというと、著者のカヴェジヤ博士いわく、
日本の人々は、「私は幸せだ」と言うのはためらうことが多いが、感謝の言葉はよく聞いた。
感謝の態度を取ることで、「他者への依存」が単なる重荷や恥の感情にはならず、感情を動かすような深い意味を持つものとして捉えられるようになる。
他人との有意義な関係や出会いは、日本人が「生きがい」と呼ぶもの、つまり意味のある人生を送るための貴重な基盤となっている。
ってことで、日本人がよく使う「ありがたい」って言葉を重視しておられました。確かに「俺は幸せだ!」と言うのは小っ恥ずかしいですが、代わりに日本人は感謝の言葉はよく使いますな。
さらに博士いわく、
人生を歩んでいく中で、多くの人は晩年に喪失感を経験する。しかし、それと同時に、この時期は他の人との相互関係に気づきながら、人生をより深く考える機会も与えてくれる。
「自分と他人がどのように関わったか?」や「他の人が自分の人生でどのような役割を果たしたか?」を定期的に思い出すと、どんな小さなことであれ、他人がどれだけ自分を助けてくれたかを思い知らされる。同じ出来事でも、他の人がどのように助けてくれたかに焦点を当てると、違って見ええてくる。
とのこと。要するに、日本人の「感謝」ってのは、過去に「他人にどれぐらい世話になったか?」を思い出させる作用が大きく、「自分は社会のなかで相互依存の関係を持っているのだ!孤独ではないのだ!」」って気持ちを育む役に立ってるのではないか、と。これまたちょっとおもしろい見立てですな。
過去に他人から善意を受けたことを思い出せば、実際の人生の事実がどうのようなものだったにせよ、何かが失われたことに意識を向けるよりも世界は異なって見える。
日本人の「感謝」は、人生を歩んでいく中で自分がどれだけ人に頼ってきたかを認識させる働きが大きいと思われる。感謝の気持ちは、社会の中での相互依存の気持ちを浮き彫りにするのだ。
この観察がどこまで正しいかはわからないものの、「感謝」の効能は過去のデータでもくり返しあきらかにされてますし、「感謝には社会のネットワークの相互依存性を思い出させる機能がある」ってのはちょっと納得しましたねー。