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感情を豊かにして創造性を高めるにはどうすれば良いですか?【イベント質問のお答えシリーズ#3】

 

ということで、「対談イベントの質問にお答えしていくシリーズ」の第3弾です(#1,#2)。今回もまた、対談イベントの大きなテーマだった「創造性アップ」に関するご質問にお答えしていきましょうー。

 

 

 

感情が豊かなほど創造性が高まる問題

私は感情が乏しい方だと思っているのですが(もしくは感情を認知していない)、感情を豊かにする訓練だったり、思考や行動に感情を乗せる方法はあるのでしょうか。

 

イベントでは「創造性には感情の豊かさが大事だ!」みたいな話もしました。それというのも、私たちの脳は強い感情をともなう出来事ほど深く印象に残すので、それが後の創造活動においてアイデアや発想の源泉になるケースが多いんですよ。強い喜び、悲しみ、驚き、恐れみたいな感情派、脳の扁桃体を活性化し、海馬ってエリアで記憶を定着させるんですな。

 

で、いったん強く刻まれた記憶は心に鮮明に残るので、その後の創作や表現において、具体的なイメージや感覚として思い出せたりするんですよ。その一方で、私のように情報を単に頭で理解するだけの人間は、時間が経つと記憶が抽象化されて、いざという時に引っ張り出せないことが多かったりします。困ったもんですなぁ。

 

ということで、創造性のためにも感情の豊かさは必須なんですけど、ご質問と同じように私も感情がフラットな方なんで、ここらへんの問題には難儀しております。ただし、意識的な練習や習慣づくりを通じて、少しずつ「感情を感じ取り、表現する力」を高めることは可能でして、基本的には「無(最高の状態)」で取り上げたような介入が効くんじゃないかと思っております。たとえば、

 

  • 感情に“名前”をつける:感情を認知しやすくするには、まず「今、自分はどんな気分だろう?」と自問し、浮かんだ感情に名前をつける練習が有効。「悲しい」「嬉しい」「焦り」「寂しさ」「わくわく」「恥ずかしい」「不安」「安心」など、感情の種類はいろいろあるんだけど、最初は大雑把な分類でもOK。感情を感じるというよりは、「ラベリングする」という客観的作業から始めると、苦手意識が少なく取り組めるはず。

 

  • “今の身体”をスキャンしてみる:感情は身体の変化としても表れるので、1日のなかで数回、目を閉じて自分の頭からつま先までゆっくりと意識を向け、「どこが緊張しているか」「どこがだるいか」をチェックしてみるのも有効。たとえば、肩がガチガチに凝っていたり、無意識に呼吸が浅くなっていたりすることに気づいたら、それが「実は少し不安だった」「ストレスがかかっていた」といった感情の手掛かりになるはずであります。

 

  • 小さな“感想”を相手に伝える:コミュニケーションの中で、何かを見たり聞いたりしたときに感じたミクロ気持ち(「面白かった」「少しびっくりした」「なんとなく心配」など)を言葉にする習慣をつくると、徐々に感情を乗せられるようになるはず。最初は相手に共感を示す形でもOKで、「それ、いいね」「すごい!」など短いフレーズを多めに使ってみると、自分の感情を意識しやすくなりますんで。

 

といったトレーニングが有効でしょう。この3つは私もよく心がけている介入でして、記憶だけでなくメンタルの安定にも役立ってるなーとか思っております。

 

 

 

共感力と質問力とは何か問題

イベントで岸本さんが「それはどういうこと?」といったように、相手の心情を聞く場面が多く見られたため、途中まで「岸本さんは、共感能力は高くはないが、好奇心があるため、相手の感情を言語情報として拾うのだ」と思っていました。しかし、対談をすべて聞くと、共感能力が高いと思われました。共感能力が高いと話している相手の感情を受け取れるため、「あぁそういう感じか」となるイメージです。岸本さんの共感力と質問力に関する見解を伺いたいです。

 

「共感力」と「空気を読む力」の違いについては「イベント質問のお答えシリーズ#1」でもまとめたので、こちらも参考にしてください。で、このご質問についてですが、確かに岸本さんは質問力があるよなーと思う場面が多くありまして、これについては「好奇心からの質問」と「共感的な質問」がミックスされてるとこが大きいんじゃないでしょうか。ざっくりまとめると、

 

  • 好奇心からの質問:文字通り、「相手が何を考えているかを知りたい」「新しい情報を得たい」という知的興味・探究心から生じる質問。そのため、質問が明確で伝わりやすい表現にあり、相手の発言を深掘りしやすい反面、相手からは「なんとなくインタビューされている」「詰問されている」と感じられてしまう欠点もある。

 

  • 共感的な質問:相手の気持ちを理解し、寄り添おうとする姿勢から生じる質問。質問そのものが相手への安心感や受容感を作り出し、相手が心情をオープンに語りやすくなる効果があるものの、時に話が進みにくくなったり論点がぼやけたりすることもある。

 

みたいなところがあるんじゃないかと思うわけです。その点で、両タイプの質問をミックスすることで欠点が相殺されるケースがよくありまして、純粋な好奇心や探究心からくる質問は、相手からすると「厳密に追究されている」と感じられることもあるんだけど、そこに「相手の内面を分かりたい」って姿勢が加わると、同じ質問でも「あ、この人は話しやすいな!」って感じが出やすくなるんじゃないかと思うわけです。好奇心に基づく質問と、裏打ちされた共感の姿勢を上手く噛み合わせるのが大事って話ですな。

 

ここらへんについては「最強のコミュ力のつくりかた」における「有能さ」と「温かさ」の議論にも当てはまるポイントなので、「質問力を高めたい!」と思う方は合わせて参考にしてください。

 

 

 

脳のフィルターと創造性問題

ASDも脳のフィルターガバガバだと思うのですが、統合失調症とASDではフィルターの効き方が違うのでしょうか?

 

こちらもイベントで出た話題で、「創造性が高い人の脳の使い方は、統合失調の脳の使い方と似ている」って考え方に関わるものです。これは「お笑い芸人と精神病の密なる関係」でも書いたことで、優秀なコメディアンを見てみると、軽度の統合失調に近い認知スタイルを持っているケースが多いんですよね。どういうことかと言いますと、

 

  • クリエイティブな人は刺激のフィルタリングが弱い:通常、人の脳は不要な情報を自動的にフィルタリングする機能を持ってるんだけど、創造性の高い人や統合失調症の人は、情報を取捨選択するフィルターの働きがゆるく、たくさんの刺激を同時に受け取りやすい傾向がある。そのため、創造的な人はフィルタリングできなかった大量の情報をうまく組み合わせて新しいアイデアを生み出すことができる。統合失調症では、これが混乱や幻覚などにつながりやすい。

 

  • クリエイティブな人は連想の結びつきがゆるい:統合失調症では「連想のゆるみ」が特徴の一つとされていて、遠い概念が脳の中でくっつきやすい傾向がある。これは創造性が高い人も同じで、かけ離れた情報がくっつきやすいおかげで、斬新な発想が出てきたりする。

 

みたいな感じです。要するに、「創造性が高い人は脳の情報フィルターがゆるく、多様な刺激や概念をつなぎ合わせやすい」という脳の特性があるんですな。そのため、創造性を高めるためには、意図的に「ぼーっとする時間」の量を増やしたりして、脳のフィルターをガバガバにする必要があると私は思ってるわけです。

 

で、ご質問にあった「ASD(自閉症スペクトラム)の情報処理」ですが、「情報のフィルターがゆるい」という特性はASDにも当てはまるケースはあるんだけど、その仕組みや影響の出方は。統合失調症や創造性が高い人とは必ずしも同じではないんじゃないでしょうか。ASDの方というのは、感覚が過敏だったり細部にやたらこだわるといった特性がありまして、「外部の刺激を取捨選択する方法が独特」「他の人が見過ごす情報を拾いやすい」ってあたりは、統合失調症や“創造性が高い人”のフィルターゆるさと重なるかなーって感じですね。

 

とはいえ、ASDは非常に幅の広いスペクトラムなので、人によっては感覚が過敏な人がいれば、逆に特定の感覚には鈍感な人もいるしで、一概に創造性と関わるとは言えないだろうとも思うわけです。強い集中力や細部へのこだわりが「創造的な視点」をもたらすこともあるんだけど、「フィルタリングされなかった雑多な情報が意外な結びつきをもたらす」って面では、そこまでの優位性はないんじゃないかと。

 

 

 

共感と創造性の関わり問題

(岸本さんが)学生時代から社会人に至るまで空気が読めないタイプだったという話題がありました。その時、僕は「空気が読めない」というのは少し違うのでは?と思ってしまったのですよね。

 

空気が読めないタイプであれば、ルシア・ベルリンやリディア・デイヴィスのヴォイスを聞くこともまた難しいのではないかと思いました。お話にも上がったとおり、リディア・デイヴィスやルシア・ベルリンの小説というのは、どちらかというといわゆる純文学に近い作風で、物語に明確なテーマが見られないこともあれば。起承転結がないこともしばしばです。しかし,読後に圧倒的な体験が残りますよね。(中略)これらの技術そのものを、英語から日本語に再構築するには、空気が読めなければ非常に困難なのではないかと思ってしまうのです。つまり僕は描写の蓄積とその行間を読む作業が、「聴覚・ヴォイス」のことなのかなと考えているのだと思います。(中略)この仮説をどう思われますか?

 

本来はもっと長文をいただいていたのですが、簡便さを優先してだいぶ削りました。ご容赦ください。

 

でもって、このご質問で指摘されている「ボイス」ってのは、対談の中で岸本さんがおっしゃった「翻訳の最中に作者の“声”のようなものが聞こえる」ってポイントに関わっております。これは岸本さんだけの特性ではなく、どうも多くの翻訳家は似たような経験をしており、それが聞こえる時ほど上手く作業が進むらしいんですな。

 

で、こちらについても、「共感力」と「空気を読む力」の違いの区別が役立つと思うんで、「イベント質問のお答えシリーズ#1」でまとめた内容も参考にしていただければ。「空気を読む」については学術的にはっきりした定義があるわけじゃないんですけど、私は「集団のダイナミズムが生み出す情報を処理する力」みたいに思ってるんですよね。なので、翻訳に必要なのは、「空気を読む力」よりは「共感力」のほうになるんじゃないでしょうか。

 

この考え方に照らすと、「ボイス」が起きる時ってのは、

 

  1. 作者の内面や意図を理解するために、脳が「自分が同じ行為をするときの神経回路」を部分的に使ってシミュレートする機能を活性化させる。

  2. シミュレート機能が動き出したか、作者の思考・発話を“脳内でなぞって再生”しやすい状況になる。

  3. これが主観的には「著者が頭の中で話している」「著者の声を聞いている」という感覚を生む。

 

って感じになってるのかなーと推測しております。シミュレートの結果が音声として感じられるのは、文章を理解する時ってのは、そもそも脳の中で言語を“声”としてイメージする機能が使われるからじゃないでしょうか。共感力が高い人は、この脳内に作られた音声が著者らしき口調やリズムを再現した上で立ち現れてくるので、あたかも作者が話しかけてくるように感じられるんじゃないかなーと(ボイスを調べた研究がないので、あくまで予想ですけど)。

 

その意味では、「描写の蓄積とその行間を読む作業が“ボイス”のこと」って指摘も近いところにあるかとは思います。おそらく優秀な翻訳家ってのは、共感力で作者の内面をシミュレートした結果、行間にあるだろう「めっちゃ豊かな情報」を再構築するのに長けているんだろうと思いますんで。


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1976年生まれ。サイエンスジャーナリストをたしなんでおります。主な著作は「最高の体調」「科学的な適職」「不老長寿メソッド」「無(最高の状態)」など。「パレオチャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/paleo)「パレオな商品開発室」(http://cores-ec.site/paleo/)もやってます。さらに詳しいプロフィールは、以下のリンクからどうぞ。

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