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“ダークトライアド”という呪い:3つの性格特性に潜むラベリングの罠を述べた研究の話


ここ10年ほどで、“ダークトライアド”という概念もすっかり市民権を得ております。簡単におさらいすると、「ダークトライアド」とは、以下の3つのパーソナリティ特性をセットで捉える心理学用語です。

 

  • ナルシシズム(自己愛性):自分に過剰な自信を持ち、他人より優れていると感じる傾向

  • マキャベリズム:他人を操作したり、目的のために手段を選ばない冷徹さ

  • サイコパシー:共感性の欠如や衝動性、罪悪感のなさ

 

たしかに、どれも人間関係にトラブルをもたらしやすい傾向でして、私自身もこのブログで何度か取り上げたことがありました。これらの特徴を持つ人はかなりの率で存在するので、「この3つをセットで覚えておこう」ってのは、ある意味で役立つ考え方なんですよね。

 

が、近ごろ心理学の世界の一部では「ダークトライアドって呼称を使うのはもうやめたほうがいいんじゃない?」という声が上がってまして、説得力のある議論が展開されているんですよ。これがかなり大事な視点を提供してくれると思いますんで、今回は「ダークトライアド」という呼び方はなぜ問題なのか?  そして、代わりにどんな枠組みがあり得るのか?ってのを、最新の研究(R)をベースに考えてみましょう。

 

この研究は、いずれも心理学の分野で多数の論文を書いてきたベテランの先生によるもので、これまでのダークトライアド研究をチェックした上で、以下のような指摘を行ったんですよ。

 

 

問題1. ダークトライアドは人を傷つけるスティグマになる

まず最も大きな問題として持ち出されるのが、「ダーク」という言葉が与える社会的な烙印=スティグマであります。

 

たとえば、ナルシシズムやサイコパシーの特性は、実際の診断基準で“人格障害”に該当することもあるれっきとした精神的な問題なんですよ。つまり、本人は生まれ持った特性ゆえに、職場や家庭で孤立したり、深い悩みを抱えていたりするケースも少なくなかったりするわけです。

 

そんな状況の中で、「あの人、ダークトライアドじゃない?」みたいにラベリングされてしまったらどうなるか。周囲からは「危険人物」として扱われ、本人も「自分はおかしいんだ」と思い込んでしまうリスクが高まるのは間違いないところでしょう。要するに、「わかりやすいけど雑なラベル」は、科学的にも倫理的にもよろしくないという話っすね。

 

 

問題2. “ドラマチックすぎる”言葉が科学を壊す

2つ目のは、心理学の世界に過剰なセンセーショナリズムを持ち込んでしまったという問題であります。最近では、「ダークトライアドを持つ人間はリーダーになれるのか?」みたいな論文も増えまして、中には「ダース・ベイダーの誕生」「夜の怪物たち」みたいな、キャッチーすぎる論文タイトルすら出てきたんだそうな。なるほどねー。

 

こうしたセンセーショナルな表現は、さすがに科学としての冷静さや精密さを損ねてしまうって懸念でして、研究者たちが悩むのも無理からぬところでしょう。

 

 

問題3. あいまいすぎて、結局よくわからない

3つ目は、そもそも「ダーク」って何? という問題。たとえば「内向的」「外向的」といった性格特性には、はっきりした定義があるんだけど、「ダークな性格」と言われた場合、それが「モラルに反する」のか、「感情が欠如してる」のか、はたまた「影がある」なのかみたいな解釈は、人によってバラバラになっちゃうんですよね。

 

しかも、ダークトライアドを測定する代表的な尺度(Dirty Dozenなど)も、ほとんどが一般の大学生を対象にしており、臨床レベルの問題とは関係ないケースがほとんどだったりします。要するに、「なんか悪そう」だけど、「どこからが悪なのか」がよくわからないという、いまいち扱いづらい概念なんですね。

 

 

問題4. 存在しない「人格タイプ」を作ってしまう

最後の問題は、「ダークトライアド」という言葉があまりに浸透しすぎた結果、本当は存在しないタイプが“ある”ように錯覚されてしまうってポイントであります。これは心理学でいう「錯覚の相関」という現象で、言葉のペアが頻繁に登場することで、実際以上に強い関係があるように見えてしまう現象のこと。このせいで、臨床現場でも「この患者、ちょっとナルシシストっぽいからダークトライアドかも?」と、思い込みに基づいた対応がなされる可能性が高くなってしまいやすく、そうなれば当然、治療や支援も適切な方向に進みづらくなるわけですな。

 

 

ということで、いずれも納得の理由じゃないでしょうか。いまのダークトライアドって考え方はわかりやすさ優先で暴走しがちなので、より緻密な枠組みで理解する努力が必要じゃないかってのは、おっしゃるとおりですね。かくいう私も、私自身もこれまで何度か「ダークトライアド」という言葉を使ってきましたが、今回の研究を読んで「あぁ、雑なフレームを使ってたな……」と反省した次第です。もちろん、ナルシシズムやマキャベリズム、サイコパシーに近い傾向がある人が存在するのは間違いないし、日常の人間関係でも遭遇することは多いものの、それを「ダーク」と一括りにしてしまうことで、本質的な違いや文脈が見えにくくなっていたのかも、ってことですな。

 

では、ならば代わりにどうすればいいの?ってことで、ここで登場するのが「アンタゴニズム」という性格特性であります。これは、いわゆるビッグファイブ(FFM)やHEXACOモデルにおける「協調性」の反対側に位置するパーソナリティ特性で、

 

  • 他者への共感が低い
  • 敵対的、攻撃的な言動が目立つ
  • 見下しやすい傾向がある

 

といった特徴を持つ性格因子であります。ポイントは、この「アンタゴニズム」が、

 

  • あいまいさがない(構成概念が明確)
  • スティグマを含まない(中立的表現)
  • 他の性格因子と組み合わせて多面的に評価できる

 

って特徴を持っていることです。つまり、こちらのほうがより科学的にも倫理的にも優れているんじゃないかと考えられるわけです。確かにこの考え方を使えば、たとえば「あの人はアンタゴニズムは高いけど、誠実性も高いし、開放性も高いよなぁ」みたいに、人間の多様性や文脈をキープしやすくなりますもんね。

 

というわけで、「ダークトライアド」という言葉には、

 

  • ラベリングによるスティグマ
  • 科学のセンセーショナリズム化
  • 概念のあいまいさ
  • 錯覚の相関による誤解の助長

 

てっ複数の問題があるんだよーってご指摘でした。もちろん、「ちょっと自己中」「操作的に見える」みたいな性格傾向が存在するのは事実なんだけど、それを「ダーク」って言葉で一刀両断にするのではなく、誰もがもってる矛盾や複雑性を取り込もうとする態度が必要だってことなんでしょうな。


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1976年生まれ。サイエンスジャーナリストをたしなんでおります。主な著作は「最高の体調」「科学的な適職」「不老長寿メソッド」「無(最高の状態)」など。「パレオチャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/paleo)「パレオな商品開発室」(http://cores-ec.site/paleo/)もやってます。さらに詳しいプロフィールは、以下のリンクからどうぞ。

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