AIのせいでモチベーションが下がっちゃうんですが、どうすればいいですか?【イベント質問のお答えシリーズ#5】
ということで、「対談イベントの質問にお答えしていくシリーズ」の第4弾です(#1,#2,#3,#4)。今回もまた、対談イベントで私がたびたびテーマに挙げた、「AI」に関するご質問にお答えしていきましょうー。
AIによる副作用はあるのか問題
AIに思ったことや気になったことを何でも話すのが習慣になっているのですが、これは認知的完結欲求を高めてしまっているのでしょうか?
「認知的完結欲求(Need for Cognitive Closure)」は、イベントで出たテーマのひとつで、「あいまいな状態を避け、なるべく早く確定的な答えを得たい」と願う欲求のことです。これが強いと、いろんな可能性を検討する前にすぐ結論づけちゃったり、白黒はっきり決めたがる傾向が高まるんですな。
そのため、認知的完結欲求が高い人は、見落としや間違った決定をしやすくなるし、不確実性に耐えられなくなってストレスが増したり、良いアイデアが出なくなったりと、いろんなトラブルが出たりするとされるんですな。事実、近年では「すぐに答えを出したい」欲求が高い人はメンタルを病みやすいとも言われてまして、個人的には「これからの時代は、認知的完結欲求を下げるのがいよいよ大事になるぞ!」と考えてるわけです(近年は、その対策として「小説を読む」ってやり方が提唱されている)。
で、当然ながら、認知的完結欲求とAIの関係を調べた調査などはないので、ここからは「AIを使いすぎると考える力が落ちる?」で取り上げた研究をベースにした推測になります。ざっくり考えてみると「AIに何でも話す習慣」がどんな影響を与えるかと愚考してみますと、
- AIは即座に何らかの返答をしてくれるんで、AIを「答えを出す装置」として頼りにすると、確かに認知的完結欲求は高まりそう。
- とはいえ、AIの出力によって新たな視点や情報を得られて、好奇心が逆にブーストするケースは、私自身の体験を考えても割とある。この場合は、認知的完結欲求が高まるどころか、むしろオープンネスが高まりそう。
って感じじゃないでしょうか。つまり、結論は「AIを使いすぎると考える力が落ちる?」で書いたことと似ていて、「お前はただの回答マシンだ!」って姿勢でAIを使うならば認知的完結欲求は高まるだろうし、一方で「思考のサポーターとしてよろしくね!」って姿勢でAIを使うなら問題はないんじゃないでしょうか。個人的には、AIに聞く前に「これはこうかな?」と自分で予想したり、複数の可能性を考える感じにしとけばOKかなーって感じがしております。私の場合、本を読む前に目次から内容を推測したり、いくつかの論点を推測することがあるんですが、このやり方はAIでも同じなのかなという気がしてますね。
AIでモチベーションが下がっちゃう問題
目標を考えようとする際、AIの進化を意識すると「追いつけない」と感じてしまい、無気力になってしまうことがあります。科学を追求する鈴木先生は、AIの進化についてお仕事のモチベーションに影響を与えることがあるかお聞きしたいです。
最近はAIの進化が凄すぎて、「人間はいずれAIに追い越されちゃうんだから、自分がやる意味なんてあるのか……」みたいな感覚にとらわれちゃうってご質問ですよね。まぁAIの進化を前にモチベーションが落ちる状態は自然な反応だと思いますけど、個人的には「AIはありがたすぎて逆にモチベーションが上がるなぁ」って感覚のほうが強いです。
というのも、私の仕事で言いますと、AIがなかった時代のモチベーションのあり方を分類してみると、
- 私のモチベーションを下げてたところ=本を書いているときの「つなぎ」の部分は、大きくモチベーションが下がっていた。たとえば、書籍の中の「基礎的な研究の紹介」とか「具体的な改善テクニックの紹介」とか「実験デザインの解説」みたいなパートは、自分にとっては見慣れちゃった話が多いし、新しい視点を提供してくれるわけでもないので、どうしてもテンションが高まらず、ダラダラとやることが多かった。とはいえ、ここらへんをすっ飛ばすと誰にも伝わらない本になっちゃうので、「同じことを繰り返しているなぁ……」って感覚を抑えつけてどうにかやってた。
- 私のモチベーションを上げてたところ=データを組み合わせて、ひとつの体系にできた時は高揚感がハンパない。たとえば、「無(最高の状態)」で「脳の解釈が苦しみを生み出す仕組み」に筋が通った時とか、「YOUR TIME ユア・タイム」における「時間感覚における統一された理屈」が整った時とかは、目がバキバキになって疲れを感じなくなる。ただし、これは全体の作業の1割ぐらいなので、9割は「地面を整える作業」に費やしている。
みたいになります。つまり、全体の作業で「めっちゃ楽しい!」と思えるパートは1割ぐらいで、後は「これはもう前にやったなぁ……」とか「これはもう知ってるからなぁ……」って感覚にさいなまれながらやってるんですよ。うおー、めんどくさい!
その点で、AIの進化ってのは「9割の地ならし作業」を激しくブーストしてくれるんで、私は残り1割の「テンション爆上げ作業」にリソースを費やすことができるのがありがたいところ。まぁだからといって苦しみが減るわけでもないんですが(というか、テンションを上げるためには苦しみが必須なので、これは仕方ない)、「いらんとこに時間を使ってるなぁ」って感覚が減るのはありがたいところですね
もちろん、私と同じような仕事をしてる方ばかりじゃないとは思いますが、ここで思うのは「今後はますます自分の価値観が重要になるだろうなぁ」ってところです。価値観の大事さについては「最高の体調」でも強調しているところでして、すごく雑にまとめると「自分のテンションの上がりどころをしっかり理解できてるか?」みたいな観点です(実際はもうちょい深めな概念ですが)。
AIを「人間を代替する敵だ!」と思っちゃうと、そりゃあモチベーションも下がるでしょうが、価値観さえはっきりしてれば「AIは自分の力を増幅してくれるツールだ!」って位置づけになるはずなんですよ。そうなれば、AIは逆にモチベーション向上ツールになるんじゃないでしょうかー。
書籍や記事を書くときの生成AIの使い方
書籍や記事を書くときに生成AIを使用していますか?
使ってます!いろいろ試してみたところ、いまの使い方としては、
- 文章校正はめっちゃ使える:書き終わったあとで「誤字脱字を探して!」と指示している。間違いを見逃すこともあるけど、自分で校正するよりは明らかにマシ。
- ちょっとした詰まりの打開:文章を書いてると、「うーん、このパートの表現だけ見つからない……」みたいな状況が起きがちで、そのせいで一気に進まなくなるケースが多く、下手するとひとつの表現を探すために4時間ぐらい経つこともあったりした。しかし、AIが出てきてからは、詰まった部分を「〇〇〇〇〇〇」にしておき、あとから「この〇〇〇〇に当てはまる部分を考えてくれ!」と頼むことにして、とりあえず先に進むことができるようになった。
たとえば、ついさっき書いてた文章で言えば「ポジティブな感情が〇〇〇〇〇〇〇〇であるのと、ポジティブな状態を目指すのはまた別の話です。」みたいな感じで、表現に詰まったところを〇〇で仮置きにして、次の文章に進んでいる。
- ベタの確認にめっちゃ使える:書籍や記事の目的・読者層・キーワードなどをAIに伝えた上で、「全体の構成案」を出してもらうと、とにかくめっちゃベタなものが出てくるので「よし!この構成は避けるぞ!」と考えるための土台になる(もちろんベタが大事なタイプの文章もあるので、一概には言えないんだけど)。
- リサーチにも使ってる:テーマに関連する学術論文や書籍・ウェブサイトの情報を探してもらうのはやってる。結局、出てきた文献の検証はするので、費やす時間がそこまで短くなったわけでもないんだけど、リサーチの敷居は格段に下がって良い。ただ、AIってのは、情報をピックアップしてくる際に、研究者が文献に入れ込んだ「思考」や「視点」を漂白してくる傾向があるので、面白い研究がオミットされがちなところもあり、これはちょっと困っている。ここらへんは私の指示が悪いのかもですが。
ってあたりがメインです。いまのところ「ちょっとした詰まりの打開」が最も恩恵を受けてる部分じゃないですかね。これは、私のような完璧主義傾向が強くて作業が止まっちゃうタイプの人間には、本当に助かるんですよねぇ……。
ちなみに、最後の「AIが面白みを漂白しちゃう問題」は、私の文章をリライトしてもらった時にも感じることで、なんか平坦な文章にしてくることが多いんですよね。これも今後の学習でなんとかなるのかもですが、そのためには「研究の面白み」や「書き手の面白み」をちゃんと言語化しないといけないんだろうなぁ……とか思っております。
AIはちゃんと世界を理解してるのか問題
記号接地問題などもあるかと思いますが、AIがこれらを理解し表現できる日が来ると思われますか?
記号接地問題ってのは、コンピューターなどが処理する「記号(単語や概念)」と、私たち人間が実際に見たり感じたりする外界の意味や経験をどうやって結びつけるかという哲学系の問いのことです。AIは言葉を操ってるように見えるし、なんならコミュニケーションも取れるように見えるけど、それってただのパターン操作であって、本当に世界を理解してるわけじゃないよね?みたいな疑問っすね。
まぁこれについては「そもそも『理解している』ってなによ?」って問題すら解決してないので、その延長である記号接地問題については「わからない」としか言いようがないところではあります。ただ、個人的には「AIが世界を“理解”して表現するようになったらいいし、なってもおかしくないんじゃないかなー」とは思ってますかね。なんせ最近のLLMだけ見ても、ただのパターン解析を超えて文脈を読んでるような挙動を示してるし、文章だけじゃなくて視覚や聴覚にまつわるデータも学習してるし、将来的にはロボットと融合して“身体性”も取り入れるだろうしで、段階的に意味の獲得は進みそうな気がするんすよね。
そうなると、少なくとも「意味を理解しているとしか思えないAI」は十分に出てくるんじゃないかなー、出てきたら良いなーって感じです。
AIに執筆を任せられるようになったら、仕事として何をしたい?問題
パレオさんはAIにニュアンスを読む力が身についたら(あるいはそのように指示できるようになったら)、本を代わりに書いてほしいとおっしゃっていました。AIに執筆を任せられるようになったら、仕事として何をしたいですか?(興味本位な質問です。)
もしAIが完全に執筆できるようになったら、おそらくハリソン山中を目指すことになるんじゃないかと思ってます。いわゆる「最もフィジカルで最もプリミティブで最もフェティッシュなやり方で、いかせていただきます。」ってやつですね。これらは、今のところAIから最も遠い三大要素なので、LLMなどに任せられる日はしばらく来ないでしょうしね。
まー、今のところ、私にとって最もフィジカルでプリミティブでフェティッシュなものが何なのかは不明ですけど、本気で狩猟採集のフィールドワークをしたり、ガチでタルパを作る修行をはじめたり、我が身で老化細胞を取り除く実験のレポートをしたり……みたいなことになるのかもしれませんねー。