本当の集中力を発揮するのに集中力は不要!本当に必要なのは○○だ!という本を読んだ話
https://yuchrszk.blogspot.com/2023/09/blog-post_22.html?m=0
「LOOK」って本を読みました。著者のクリスチャン・マズビャークさんはReD Associates(人類学的なアプローチを使う戦略コンサルファーム)の創設者で、学者さんではないものの、人間の注意に関する研究を多数参照していて、よろしゅうございます。
本書のサブタイトルは、「How to Pay Attention in a Distracted World(注意散漫な世界でいかに注意を払うか)」ということで、私の本の中では「ヤバい集中力」に近い問題を扱っております。
ということで、いつものように、本書で参考になったところをピックアップしてみましょうー。
- 多くの人は、「自分が何に注意を払うべきかは直感的に理解できる」と思いこむ傾向がある。しかし、実際には、ほとんどの人は「いま何に注意を向けるべきか?」を判断できない。たいていの人は、どうしても注意を払わなければならないときにしか、注意を払うことができていない。
- この思い込みから抜け出すには、まずは注意力を正しく理解する必要がある。私たちは、注意のことを単に集中と同義のように思い込んでいるが、実際には注意には3つの形態がある。
- まずひとつめは「俯瞰的注意」で、これは日常的な注意だと言える。玄関のドアを開けて通りを歩くとき、あなたは道路を走る大型トラックなどを目にするかもしれないが、その正確な色や年式、メーカーなどには通常は注意を払わない。その代わりに、あなたの知覚は、街角の風景やトラックに関する社会的なコンテクスト全体を取り込む。このタイプの注意は意識することさえないし、養う必要もない。
- ふたつめは「焦点的注意」で、知覚のスポットライトとして機能する。カメラの焦点を合わせてズームインする作業に似ており、上記の例で言えば、近づいてきたトラックの車種を知るために形状に注意を向けるときに使う能力で、私たちが特定のタスクに意識を向けるのと同じ種類の集中力である。
たいていの人は、この「焦点的注意」が欠けているせいで気が散ると思い込んでいるが、実際のデータを見れば、このタイプの注意力を鍛えても、注意散漫に対抗することはできないことがわかる。
- みっつめは「ハイパー・リフレクション」と呼ばれる形態で、これは「他の人がどのように注意を払っているかに注意を払うこと」を意味する。他人がどのように個々人の世界を理解し、どのように人生を歩んでいるかを観察するためのメタスキルと言って良い。
優れた作家、学者、芸術家たちは、おしなべて「ハイパー・リフレクション」の使い手であるケースが多い。このような人たちは、他者の言動に注意を払い、自分の行動に流用するために他者の行動を解釈する。この注意力が高まると、私たちは人間の行動をうまく構造化し、高い共感性を持って見つめられるようになる。ハイパー・リフレクションのおかげで、「人間はなぜこのような行動を取るのか?」についての洞察が深まるからである。
- ハイパー・リフレクションが大事なのは、これが抽象性のない世界を見せてくれるから。たとえば、フォードが電気自動車を開発した際、当初は、自社の定番トラックをEVに変えることに注意を向ければよいと考えていた(焦点的注意)。
しかし、現実に開発を進めてみると、車両エンジニアの設計やメカニックに対する情熱、北米で働くトラックドライバーの経験など、新たに考え直すべきデータが山のように出現。プロジェクトに関わるデータが多すぎて、焦点的注意は解決策にならないことが明らかになった。
そこでフォード社はハイパー・リフレクションに切り替え、ドライバーやエンジニアの“意見”ではなく、「人々がどのようにトラックと関わっているか?」「自社製品のユーザーが見ているものを、どうすれば本当に見ることができるのだろうか?」といったより大きな文脈に注意を払うように心がけた(ここらへんは、「進化論マーケティング」の考え方と似てますな)。
その結果、ドライバーたちは電気自動車に反対しているわけではなかったが、だからといって「CO2排出量を測定する抽象的なデータ」を見てトラックを購入する気にもなるわけではなかった。ユーザーが必要としていたのは、そのトラックが日常的な場面で活躍してくれることであり、道の悪いキャンプ場でも問題を起こさなかったり、週末に家族で釣りをするためにボートを運んでくれたりすることだった。
しかし、実際にドライバーたちに意見を聞くと、「私は自然を保護したいと思う」「排ガスをださないのは重要だ」と答えるため、このような結論には行き着きにくくなってしまう。
- 言いかえれば、「ハイパー・リフレクション」とは、他人が見ているものに注意を払うことであり、偏見や先入観を持たずに、社会的文脈の中で他者を観察することだと表現できる。これを実践すると、必要な情報が抽象化されずに浮かび上がり、優先順位をつけるのがうまくなり、注意散漫や怠惰も解消される。