内向的な人が不幸なのはなぜか?そして、内向人間はどうすればいいのか?
「内向的な人は不幸だ!」って考え方が昔からあるんですよ。内向的な人は、いつも自分の内面に集中しているため、日常で起きる小さな喜びに気づきにくく、そのせいで幸福の総量が減っちゃう可能性が高いというんですな。
まー、これは割りと昔から確認されてきた話で、「外向的な人は内向的な人よりも幸福度が高い」って傾向が、一貫して示されてたりするんですよ(R)。生まれつき超内向の私にとっては、非常に納得できる話であるとともに、なんとも困っちゃう話でもあるわけです。
では、内向人間はどうすればいいのかってことで、メルボルン大学などの研究(R)が参考になりました。
これは349人を対象にした調査で、みんなの内向性と幸福度を比べたものです。ここでいう「内向外向」ってのがどんな性質なのかと言いますと、
- 外向性=外から来る報酬に反応しやすい特性の集まりを意味しており、社交的、表現力が豊か、自己主張が強いなどの特徴を持つ。
- 内向性=外から来る報酬への感受性の閾値が低く、自分の内面の思考や感情に意識が向くため、より控えめで静かな態度になる。
みたいになります。あくまで外部環境への反応をベースにした区分けなんで、それゆえに以下のような考え方は間違いってことになりますんで、ご注意ください。
- 内向的な人はみんな内気だ(内向性と神経症傾向が同時に高いときにだけ内気さが出る)
- 内向的な人はみんなクリエイティブだ(内向性と開放性が同時に高いときにだけ創造性が上がる)
このような区分けをふまえたうえで、参加者たちの内向レベルと幸福をチェックしたら、結果はこんな感じになりました。
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参加者の約54%の人が「実際の自分よりも外向的でありたい」と答えており、そのような人ほど幸福度が低い傾向があった。
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参加者の96%が「自分の社会では、内向的な特性よりも外向的な特性がより重視されると考えている」と答えた(まぁオーストラリアは外向性がもてはやされるお国柄なので、これは当然でしょうな)。
ということで、少なからぬ人が「自分は外向的にならねば!」と考えており、そのせいで幸福感のテカをもたらしているんじゃないか、と。このように、実際の外向性と理想の外向性との間に差がある状態を、研究チームは「外向性欠乏信念」と呼んでおられます。このメンタリティは、日本だと、ビジネス書クラスタなどでよく見かける気がしますね。
ただし、この研究では、内向のレベルが高いにもかかわらず、外向的な人と同じレベルの幸福を達成してるケースも見られまして、そのような人たちは、
- 幸せな内向人間は「気質的真正性」が高かった!
って傾向が見られたそうです。「気質的真正性」ってのは「本当の自分を体験・表現する能力」のことで、この実験の文脈で言い換えれば、
- 自分のことをどれぐらい内向的な人間なのかを理解できている。
- 無理に外向っぽくふるまわず、内向らしい行動を取ることができる。
- 自分の内向性をふまえたうえで、「自分はこういう人間だからいいや」と思っている。
みたいになります。要するに、内向的な人の幸福ってのは、自分の気質を気に病むかどうかに大きく左右されるということですね。
研究チームいわく、
外向性がもてはやされる国に住む内向的な人は、自分の内向性を受け入れることができれば、より本当の自分に近づくことができ、ひいては人生全体の幸福感を高めることができる。
重要なのは、自分のパーソナリティが、内向と外向の連続体のどこに位置するのかを把握することだ。これができる内向的な人は、欧米のように外向的な行動がもてはやされる文化が根深い国の学校、大学、職場で、よりよく成長することが望める。
とのこと。このデータでも、自分の内向性に満足している人は、もっと外向的になりたいと思っている人よりも「気質的真正性」レベルが高かったそうで、いかに内向の自分を受け入れられるかが一番大事ってことになりそうですね。
ちなみに、過去に行われた内向研究では、「日本とかドイツみたいに、外向性がそこまでもてはやされない国だと、内向人間もそこまでは行きづらくないよー」ってデータ(R)もありまして、今回の研究は、このような結果とも整合的だと言えましょう。
いずれにせよ、自分の内向で生きづらさを感じている方は、
- まずは「自分は外向性欠乏信念にとらわれていないか?」と自問してみる。
- もし「外向性欠乏信念」が問題だった場合は、内向のメリットをチェックして、内向的な自分を受け入れる。
みたいになるでしょうね。私の場合も、「自分はド内向だから無理して人付き合いするのをやめよう……」と腹をくくったあたりから、生きるのがだいぶ楽になった経験がありまして、今回の話には納得でありました。