2024年6月に読んで良かった5冊の本と、1本の映画
月イチペースでやっております、「今月おもしろかった本」の2024年6月版です。今月読めた本はだいたい25冊ぐらい。そのなかから、特に良かったものをピックアップしておきます。
ちなみに、ここで取り上げた以外の本や映画については、インスタグラムのほうでも紹介してますんで合わせてどうぞ。とりあえず、私が読んだ本と観た映画の感想を、毎日なにかしら書いております(洋書は除く)。
The Intelligence Trap(インテリジェンス・トラップ) なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか
知性が高い人々が、しばしば誤った決断を下す理由を探求した本。
いわゆる「バイアスの罠」についてまとめた本で、類書はめっちゃ多いんだけど、そのなかでもデータとエピソードの選択がうまく、本としての面白さがひとつ抜けてますね。
エジソンやアインシュタインといった超天才がハマった罠を物語として提示しつつ、そこを実験データで補完していくバランスがうまく、この書き方は個人的にも見習いたくなりました。おかげで内容が記憶に残りやすくなっているので、「バイアスについて知りたいけど、どこから入門すればいいかなー」という方は、本書から入ってみるのも良いでしょう。また、本書で提示される「自己反省」や「客観的な自己評価」といった視点は、IQが高くない人でも確実に役立つはず。
ちなみに、この類いの本を読むと、「賢い人でも不合理な選択をすることはわかったけど、それじゃあ知性がある人がバイアスを克服したら無敵じゃない?結局、IQが高い人のほうが有利じゃん!」と思っちゃうことがあるんですが、この本では、「知性が高い人は凡人よりも不利なのだ!」って視点があるのもナイス。実は凡人のほうがバイアスに飲まれにくいので、合理的な決断においては、実は知性が高い人よりも有利だったりするんですよね。
ごく普通のIQしかない私としては、この点においても、本書の筆運びには勇気づけられました。まぁ拙著「才能の地図」でも「IQを重く見るのはムダ」と書いてますが、そのメカニズムをさらに詳しく言語化していただいた感じで、そこも良かったです。
Invention and Innovation 歴史に学ぶ「未来」のつくり方
高名な科学者が、人間の発明とその歴史について掘り下げた一冊。「現代はイノベーションの時代だ!」みたいことをよく言いますが、こういった誇大な発言に対して、歴史のデータをもとに、冷や水をぶっかけていく内容でおもしろかったです。
全体としては、「技術の進歩が必ずしも社会に利益をもたらすとは限らないよ!」ってポイントを強調してまして、飛行船や核融合のように期待はずれだった発明のほか、鉛添加ガソリン、DDT、フロンなどの有害な発明をベースに、技術革新に対する批判的な視点を持ち、未来の発明に対して現実的な期待を持つことの重要性を説いていて、バランスが取れた視点を教えてくれるのが良いですねー。
そのうえで、最後に「現代で最も重要な技術は、より優れた水処理方法や農業の収穫量の向上だ!」といった結論に至るのも説得力ばつぐん。華やかさのない地味な仕事こそが、実際には本当に世界を変えたりするんだよなぁ……とか、あらためて思ったりしました。良書っすね。
恐るべき緑
シュヴァルツシルト、グローテンディーク、ハイゼンベルクといった20世紀の天才学者の半生を追った伝記。と見せかけて、作者が創作したおもしろエピソードがガンガンに詰め込まれていて、科学書でもあり、小説でもあり、評伝でもあり……という不思議な味わいの本になってました。
そのため、本書の印象は人によって大きく異なるはずで、ある人は「科学の功罪」について考えるだろうし、ある人は「天才の狂気」に思をはせるだろうし、ある人は「科学に内在された詩」を感じたりするはず。そんなふうに複数の視点を許してくれるだけでも素晴らしいですが、私の場合は、“世界の深淵を覗き込んだ天才が見た世界”を疑似体験させてくれるところにシビれました。世界の背後にある仕組みや数式が浮かび上がるシーンの説明がうまいおかげで、「天才が味わったかもしれない感覚ってこういうことなのかなー?」ってのが、なんとなく感ぜられるんですよね。
その点で、フィクションとノンフィクションを境界を示さない書き方も効いていて、物理や数学の世界にありがちな、「真実を追えば追うほど虚構と事実の区別ができなくなる(あるいは、区別の意味がなくなる)」って現象のメタファーとしてうまく機能していて良いですね。書き方の枠組みが内容と合ってるおかげで、科学に特有の幻惑感が、見事に小説に落とし込めてる印象を受けました。いやー、これは傑作でしょう。
羆嵐
大正4年に北海道の三毛別で、巨大熊が7人を食い殺した実話をもとにした小説。
北海道の寒村に現れる身の丈2.7メートルの熊!
襲われた家屋から人骨を食らう音が鳴り響く!
大自然の脅威に、1人の老人が立ち向かう!
というモンスターパニック映画さながらの状況を、ドキュメンタリーの筆致で淡々と描いていてめっさ怖かったです。
ヒグマの猛威に翻弄される人間の無力さを見せつけられる前半も良いですが、後半から登場する熊撃ち名人のキャラ作りもかっこ良すぎ。子どもを亡くした悲しみから酒に溺れ、乱暴な振る舞いで村人からも嫌われた老人が、警察も手に負えないヒグマを追跡していく勇姿は、西部劇の名作を見るかのようでした。「グラントリノ」のころのクリント・イーストウッド主演で実写化して欲しい。
忘却の効用: 「忘れること」で脳は何を得るのか
「忘れることはなぜ大事なのか?」「人はなぜ忘れるのか?」の最新知見をまとめた本。忘れることただの記憶の欠如ではなく、脳の健康において欠かせないプロセスなんだよ!って事実を、神経科学のレベルで掘り下げてくれていて有用でした。
では、なんで人間には忘却が必要なのかと言いますと、
- 適切な忘却は、脳が重要な情報を効率的に保持するのに役立つ!
- 忘却によって、生物は柔軟な行動ができるようになる!
- 忘れるからこそ、抽象的な概念を理解しやすくなる!
- 忘却のおかげで、過去の嫌な感情から逃れて現在を生きられる!
- 物事を忘れないと、いつも同じような行動しかできなくなる!
みたいな感じで、いずれも「言われてみればそのとおりだよなー」って感じ。特に個人的には、忘却と抽象的な理解の関係がおもしろく、「私が忘れっぽいのは、具象を抽象に落とし込んでいるからなのだ!」と自分を慰めるよい手段になりました。自閉症者は忘却が苦手なので、そのせいで特定の行動へのこだわりが強くなるって指摘も、かなり面白いですよね。
ちなみに、忘却の力をうまく使って感情的な負担を軽減する方法として、マインドフルネスやセルフコンパッションの技術も推奨されていて、この2つを忘却の観点から説明してくれるのも新鮮で良かったです。おすすめ。
関心領域
アウシュビッツ強制収容所のすぐ隣に住む、所長一家の生活を描くホロコースト映画。
虐殺の様子はなにも映さず、美しい庭園の向こうから流れてくる小さな銃声や叫び声だけを観客に感知させ続ける105分で、まさに「板子一枚下は地獄」を地で行く作品でした。
画面に映らないだけで、1本の映画内で殺された人間の数で言えば最多クラスでして、その結果、最後にはアーレントが言う「悪の凡庸さ」が強烈に立ち上がってくるあたりが、見どころになっております。
ところどころに挟まるアート系の演出もキマっていて、開始から3分にわたって真っ暗な画面が延々と続くシーンは、「この作品は音に注目せよ!」とうながす働きをもたらしていて効果的だし、収容所の人たちのために食糧を隠す少女をナイトビジョンで捉えた映像も、「地獄にも希望はある!」ってところを視覚的に表していて良かったです。
なかでも没入感のあるサウンド・デザインがすばらしく、収容所から漏れ聞こえてくる惨状は、「常に聞き手にストレスを与えつつも、意識しなければ見過ごせる」という絶妙なレベルをキープしていて凄い。最後まで抑制が効いた演出を貫いておいて、エンドロールでは、犠牲者の思念を煮詰めたようなサウンドトラックを爆発させる演出は、夢に出てきそうな勢いっすね。