人間の行動や文化のすべては「死への恐怖」につき動かされている
「生における死の役割(On the Role of Death in Life)」って本をボチボチと読んでます。その名のとおり「死について考えたとき、ヒトの心はどう変わるの?」ってテーマの一冊で、著者はこの問題を30年近く研究し続けている第一人者。
死への恐怖で人間の心はこう変える
その内容は「人間の行動や文化の多くは『死の恐怖』がベースなんじゃない?」というもので、「脅威管理理論」といった名前で呼ばれております。宗教なんかはわかりやすい例ですが、ほかにも有名になって死後も名を残そうとしたり、世界遺産にラクガキをしてみたり(自分より大きなものに印をつけて安心感を得たい)など、人間のさまざまな行動は死の恐怖に動かされてるんだって発想ですね。
このことは、著者たちが行った実験でもいろいろと確認されてまして、
- 死を意識すると、ヒトは法と秩序に敏感になる:1989年の実験(1)では、死について考えた陪審員は、そうでない陪審員より10倍も高い保釈金を設定したそうな。死への恐怖が、法と秩序のような確かなものにすがりつきたい気分にさせるらしい。
- 死を意識したヒトは、生命を意識させる行動を避けがちになる:2007年や2014年の実験(2,3)では、死について意識した女性ほど公共の場での授乳を避けるようになり、自分を「たんなる物」として考える傾向が強まった。
- 死を意識したヒトは、自分の名を後世に残そうとする:2011年の実験(4)では、死について意識した被験者ほど、自分の名にちなんだ名前を子どもにつけようとした。2010年の実験(5)でも、死について考えた被験者は「空の星に自分の名前を付けたい!」と考え、さらには有名人が描いた絵画に対して優しい批評を述べるようになったとか。つまり、名誉や名声にたいして寛大な気持ちになったわけですね。
- 死を意識したヒトは、自分の政治的な立場にしがみつく:2011年の実験(6)によれば、死の恐怖が強い参加者ほど、自分の政治的な立場を代表するリーダーを支持するようになったとか。もとから保守的なヒトはより保守になり、もともと左寄りなヒトはさらに左に寄っていくみたい。
- 死を意識したヒトは、より攻撃的になる:2006年にイランの学生を対象に行われた調査(7)によれば、平時では平和を支持していた場合でも、死の恐怖が強くなるほど爆弾テロを支持する傾向が高まったとか。これはアメリカの調査(8)でも同じで、死の恐怖が強い人ほど対イラク戦争を支持しがちだったらしい。
昔から「死について考えると命が大事に思える!」ってな意見もありますが、どうも実際のデータは逆っぽい。死への恐怖が名誉への欲を高め、柔軟な思考を奪い、戦争を悪化させる原因にもなってしまうという。
わたしたちは、みな不安を抱えている
ここで難しいのが、たいていの人は「オレは死なんて恐れてない!」と思ってしまいがちなところ。著者らが行った実験では、たいていの人は死についてとても合理的に考えるんだけど、無意識の恐怖感についてはまったく自覚がなかったらしい。
これは個人的にもよくわかるところで、かつては「死んだら土に帰るだけ」とかうそぶいてたんですが、試しにエイズ検査に行ってみたら、心当たりもないのに強烈な恐怖感に襲われたことがありまして、「やっぱ自分は死が怖かったんだな…」とか痛感した次第です。
著者いわく、
わたしたちは、みな不安を抱えている。自分自身の死への恐怖を、どうにかやり過ごしていかねばならないのだ。
とのこと。さらに、
(死への恐怖に対抗するために)わたしたちは心理的な安心を求めて、神、国家、自由、民主主義といった、より大きな構造にすがりつこうとする。
というわけで、なかなかおもしろい説かなーと思います。もちろん、この問題について即効性のある対策があるはずもないんですが、とりあえずは自分の「死の恐怖」レベルを意識してモニタリングしていくのが吉。
さらに、政治的な立場が違う相手を攻撃しまくったり、他人の意見をまったく受け入れなかったり、権力やお金が大好きな方を見たら、「あー、死が怖いんだな。かわいそうに…」と思ってみると、こちらの怒りも収まるかもしれません(笑)