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世の中が便利になるほど、人生が薄っぺらくなる理由を書いた本を読んだ話

  

小さなことThe Small Stuff: How to Lead a More Gratifying Life』って本を読みました。著者のイアン・ボゴストさんは、ワシントン大学セントルイス校でコンピューター科学やメディア研究、アート&デザインなどを教える教授らしい。

 

で、本書は、「もっと幸せになろう!」「人生を効率化しよう!」と考えすぎた結果、私たちは日常に転がっている小さな喜びを見失ってるんじゃないか?って問題を扱った一冊になっております。拙著「社会は静かにあなたを『呪う』」の第2章で書いたことと、同じような問題意識ですね。

 

ここで著者が注目するのが「gratification」という感覚で、日本語にするなら、「感覚的な充足」とか「その場で得られる小さな満足」といったところでしょう。たとえば、

 

  • 温かい紙コップを両手で持ったときの感触
  • ジッパーが閉まる音
  • 落ち葉を踏んだときのパリパリ感
  • 包丁で野菜を切るときのリズム

 

みたいなものがよくある例ですね。どれも人生を変えるほど重要な出来事ではないんだけど、身体にはちょっと気持ちがいい、みたいな感覚ですな。

 

こうした小さな感覚をちゃんと受け取れるようになると、いまの生活を大きく変えなくても、毎日の充実感を増やせるんじゃないの?ってのが本書の主張になっております。こいつは日本人にはなじみ深い主張かもですな。

 

というわけで、今回も本書から勉強になったところをチェックしてみましょうー。

 

  • 本書の基本的なメッセージは、もちろん「大きな幸福を目指すな!」というものではない。「幸福だけを人生の評価基準にすると、普通の毎日が未来への準備期間になってしまうぞ!」というものである。

    私たちは、良い仕事に就きたい、健康になりたい、家族と良い関係を築きたい、人生の目的を見つけたい、といった大きな目標を持っている。どれも大事な目標だが、これらは達成までに時間がかかるし、そもそも本当に達成できたのかどうかも判断しづらい。

    たとえば、幸せな家庭とは、どの状態を指すのか。仕事で成功したと言えるのは、どの地点なのか。健康になったと言えるのは、どの数値を超えたときなのか。このように、大きな目標ほど、明確なゴールが存在しない場合が多い。

 

  • そのため、幸福だけを追いかけていると、今日という一日がすべて未来のための手段になってしまう。今日の仕事は将来の成功のため、運動は未来の健康のため、家事は早く終わらせて本当にやりたいことをするため、といった感じである。こうなると、人生の大部分を占める普通の時間が、「さっさと通り過ぎるべきもの」に変わってしまう。

 

  • これに対して、「感覚的な充足」は、その場ですぐに得られる。温かいコーヒーカップを持ったときの熱や、ジャケットのジッパーが閉まる感触を味わうために、何年間も努力する必要はない。

    大きな幸福は未来に存在することが多いが、小さな充足は今日に存在している。両者は対立するものではなく、人生の目的や成功を目指しながら、目の前の小さな感覚も楽しめばいい。

 

  • ところが、現代人の多くは、このような物理的な満足を感じにくくなっている。その大きな原因として、著者は、生活の「脱物質化」を挙げる。

    かつては、水道を使うにも蛇口をひねる必要があり、車を動かすにも鍵を差し込んで回す必要があった。自動販売機では大きなボタンを押し、高速道路の料金所では硬貨を投げ、映画のチケットは紙で受け取っていた。

    一方でいまでは、多くの動作がセンサー、アプリ、自動化、タッチスクリーンに置き換えられた。この変化そのものはどう考えても便利だが、生活を効率化する過程で、私たちが物理的な世界と接触する小さな機会を大量に失ったのも事実である。

    現代では、鍵を回すときの抵抗、紙を破る感覚、硬貨の重さ、ボタンが沈み込む手応えなどが消え、あらゆる作業が同じガラス板を指で触る動作に変わった。銀行振込も読書も買い物もニュースの閲覧も、スマートフォンの画面では、だいたい同じような指の動きで終わる。扱っている内容はまったく違うのに、身体にとっては、いつも平らな画面を触っているだけとなる。

    その結果として、生活はラクになる一方で、感覚の種類が減り、日常が平板になっていく。著者が指摘するのは、この便利さの裏にある見えにくいコストである。

 

  • 問題は、小さな感覚が存在しないことではなく、それらを「どうでもいいもの」として処理するようになったことである。現代でも、物理的な世界そのものが消えたわけではなく、私たちはいまでも、シャツのボタンを留め、皿を洗い、犬をなで、窓を開けている。

    しかし、私たちは、旅行、昇進、卒業、結婚、新しい挑戦の成功など、意味のある出来事だけを特別なものだと考えがちである。とはいえ、こうした大きなイベントは、それほど頻繁には起きない。一方で、人生の大部分は、料理、洗濯、掃除、買い物、散歩、植物の水やりといった普通の活動でできている。

 

  • 小さな充足は、この普通の時間に隠れている。本書では、地下室の壁を塗る作業に、思いがけず夢中になった人物が例として挙げられている。その人物は、DIYが大好きだったわけでも、完成した地下室に大きな誇りを感じたわけでもない。彼が気に入ったのは、粘り気のある塗料そのもので、塗料の重さ、レンガの上に広げたときの音、赤茶色の壁が白く塗りつぶされていく様子が、妙に気持ちよく感じられた。

    つまり、満足は作業の結果だけにあるわけではない。作業中に身体が受け取る音、抵抗、重さ、色の変化にも存在している。

 

  • ところが私たちは、こうした作業を「早く終わらせるべき雑用」とみなしがちである。皿洗いはさっさと済ませ、買い物は最短時間で終わらせ、移動中はスマートフォンを見て時間をつぶす。本当に価値のある時間は、雑用の先にあると考えてしまう。しかし、料理や掃除や移動のような時間をすべて消化試合として扱うと、人生の大部分が消化試合になり、喜びは消えていく。

 

  • ここで著者が提案するのは、普通の活動に含まれる感覚を、ほんの少しだけ長く受け取ってみることである。たとえば、駐車場を歩くときに靴底の音を聞く、散髪中にハサミのリズムを感じる、植物に水をやるときにじょうろの重さを味わう、料理中に包丁が食材を切るときの抵抗を感じる、などである。

    ほかにも、窓を開けたときの空気の温度、砂利を踏んだときの音、夏の日差しが顔に当たる感覚など、身体が受け取っている情報はいくらでもある。

 

  • ここで大事なのは、「いまこの瞬間に集中しなければ!」などと力まないことである。本書の提案は、すべての感覚を観察するマインドフルネス修行でもなければ、どんな出来事にも感謝しようというポジティブ思考でもない。新しい習慣をスケジュールに加える必要もないし、高価な道具を買ったり、特別な趣味を始めたりする必要もない。

 

  • 必要なのは、すでに起きている感覚を、すぐに切り捨てないことである。少し気持ちいい音がしたらその音をもう少し聞いてみる、手触りがおもしろければ数秒だけ長く触ってみる、これぐらいで十分である。

    小さな充足は、自分から無理に作り出すものではなく、普通の生活がすでに差し出している感覚を受け取ることで見つけることができる。

 

  • もうひとつ、本書が問題にするのは、現代人が頭の中で過ごす時間の長さである。私たちは、未来の予定を立て、過去の失敗を思い返し、問題を解決し、責任を管理し、より幸せな将来を作る方法を考え続けている。このような思考は必要だが、人生について考えることに夢中になりすぎると、人生そのものを経験する時間が減ってしまう。

    私たちは、目標を立てたり、抽象的な問題を考えたりする頭脳であると同時に、温度、匂い、重さ、音、手触りを感じる身体でもある。私たちが抱く「大きな幸福」とは、人生全体を振り返って下す評価に近い。一方で「小さな充足」は、いま目の前にある物理的な世界から直接受け取るものである。
  • たとえ、仕事や通勤や責任や悩みがあったとしても、コーヒーの熱さ、洗った皿の滑らかさ、砂利を踏む音は残る。これらの喜びを知覚できるようになれば、自分の抱える問題そのものが変わらなくても、それらが一日の意味のすべてではなくなる。大きな出来事の間にある普通の瞬間が、再び生活の一部として感じられるようになるからである。

    そのため、人生を豊かにするために、必ずしも生活を大きく変える必要はない。まずは、自分がすでに触れている世界との関係を少し変えてみるのが重要となる。

 

ということで、今回は『小さなこと(The Small Stuff)』って本の話でした。幸福や生産性について考える本はいろいろありますけど、「普通の物体に触れたときの小さな気持ちよさ」に注目してるのがフレッシュですね。新しい目標や習慣を追加するんじゃなくて、普通の出来事をちゃんと経験せよ!ってアドバイスは、これからめっちゃ大事になるんじゃないですかねー。


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1976年生まれ。サイエンスジャーナリストをたしなんでおります。主な著作は「最高の体調」「科学的な適職」「不老長寿メソッド」「無(最高の状態)」など。「パレオチャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/paleo)「パレオな商品開発室」(http://cores-ec.site/paleo/)もやってます。さらに詳しいプロフィールは、以下のリンクからどうぞ。

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