イメージする瞑想と呼吸に集中する瞑想の違い
https://yuchrszk.blogspot.com/2015/05/blog-post_5.html
そんなわけで、「向源」って仏教イベントで真言宗と臨済宗バージョンの瞑想を体験してきたわけですが、その違いがおもしろかったのでメモ。
イメージを展開させる真言宗
真言宗の瞑想は「阿字観(あじかん)」と呼ばれまして、頭をからっぽにするのではなく、バリバリに脳を働かせるのが特徴。具体的には、- 軽く柔軟体操
- 目を閉じて何度か深く呼吸
- 息を吐く際に心のなかで「アー」と唱える
- 数分ほど「アー」と唱えつつ呼吸
- 小さな満月を自分のなかにイメージする
- 満月が少しずつ大きくなっていく様子をイメージ
- 満月が自分の体を超えて建物のサイズを突破
- さらに満月が大きくなり日本のサイズを突破
- さらに世界のサイズを突破
- さらに地球を突破
- 太陽系を突破
- 銀河系を突破
- 宇宙を突破
- 今度は満月がちぢんでいく様子をイメージ
- 宇宙から自分のなかへ満月のサイズがもどる
- 深呼吸して終わり
みたいな感じ。いやー、やっぱ空海さんの手法は派手ですねぇ。手順が複雑なんで、これをガイダンスなしで行うのはムリっすね。
宇宙サイズでイメージを展開させるのは、スピリチュアル系の世界ではおなじみの話で、「ゲートテクニック」とか呼ばれる手法によく似ております。スピ系では、ここから「至高体験」とか「宇宙との一体感」みたいなところへ進みがちですが、弘法寺の渡邊弘範さんは「阿字観では悟れません」と明言しておられました。ここ大事。
結局のところ、なんらかの超越的な目標に向かうんではなくて、マインドフルネスな状態のキープを目指す点では、どの宗派も似ているのかなーと思います。阿字観の場合は、イメージの力で脳のGPS機能をいったん停止させてる印象がありますけど、よくわかりません。
呼吸に集中する臨済宗
一方で臨済宗の瞑想「数息観(すそくかん)」は超シンプル。具体的には、- あぐらで座った状態から、いったん上体を前にたおす
- おヘソを突き出すイメージで背筋を伸ばす
- 前方1.5mのあたりをぼんやりと見つめる(目は閉じない)
- 吐く息を数える
- 吐く息を10まで数えたら、また1にもどる
- 息を数え続ける
- 意識がそれたら静かに呼吸のカウントにもどる
これだけ。1セット25分で、ひたすら息を数え続けていけばOKらしい。これはマインドフルネス瞑想でもおなじみの手法で、認知療法なんかでも取り入れられてますので、わりと実践しやすいかと思います。
上座部仏教(原始仏教)なんかだと、ここからさらに「カウントを止めて息の出入りだけに集中する」って段階に向かうんですが、「とにかく息を数え続ければいいんだ!」ってとこだけにポイントを絞るのもわかりやすくてよいかと。どのみち集中が深まっていけば、息のカウントも意識の背景に溶け込んじゃいますからね。
指導にあたった龍雲寺住職の細川晋輔さんいわく、「坐禅をしても何も得られない。いままで凄い時間を坐禅に費やしてきたが、特に得たものはない。その代わりに何かを捨てることはできる」とのこと。これまた大事なポイント。ミニマリストな方には、受け入れやすい発想じゃないでしょうか。
まとめ
そんなわけで、どちらのお坊さんも、瞑想は何かを得るためにやるんじゃないよ!と明言してたのが印象的。もちろん、瞑想法に優劣はありませんので、黙ってじっとしてるのがニガテな方は「阿字観」を、とにかく手軽に実践を続けたい方は「数息観」をやってみればいいんじゃないでしょうか。個人的にはミニマリストな思考に共感してますんで、わたしは呼吸に集中するパターンでいきたいと思っております。