他人の心を読むのがうまくなる本、へたになる本
「小説を読む効能」についてはまだ諸説ありまして、良質な文学は共感力を高めるかも?なんて話もありつつ、一方では否定的な見解もあったりするわけです。なので、個人的には好きなものを適当に読む感じになってますが、新しい研究(R)では、
- 文学とエンタメ小説は脳への作用が異なるのでは?
みたいな話になってておもしろいです。これは平均年齢34歳の493人を対象にしたテストで、以下のポイントをチェックしてます。
- 普段からどのような小説をどれぐらい読んでいるか?(膨大な作家リストを渡して、知っている人を指摘してもらったらしい)
- 人間の行動の理由を理解することにどれぐらい興味を持っているか?(いわゆる帰属複雑性ってやつですな)
- 自己中心的なバイアスがあるかどうか?(要するに、「他人は自分と同じ考えや態度を共有しているに違いない!と信じている度合いのこと)
- 他人の感情を読むのがどれぐらいうまいか?(いろんな人の「目の表情」だけを見せて、その人物がどんな感情を抱いてるかを当てる)
って感じで、すべてのデータをひっくるめて、普段の読書傾向と性格特性を比べてみたわけですね。
また、この研究では、みんなが読んでる小説を2つに分類してます。
- 文学的な小説=ドン・デリーロ、ジョナサン・フランゼン、アリス・マンローなど
- エンタメ系の小説=ダン・ブラウン、トム・クランシー、ジャッキー・コリンズなど
文学とエンタメ系の小説をはっきり区別するのはめちゃくちゃ難しい作業ですけど、この手の研究では、だいたい以下のような感じの定義になってますね。
- 文学的な小説=読者に書かれていないことの意味を探る作業をうながし、自分の視点を作り出すことを求め、複雑な登場人物が登場する
- エンタメ系の小説=読者に明確な意味を提供し、登場人物よりもプロットに比重が置かれている
すごーくざっくり言っちゃえば、文学的な小説はアクティブにテキストの解読に取り組むもので、エンタメ系の小説は受動的に楽しむもの、ぐらいに分類してるわけですね。
例えば、夏目漱石の「こころ」とか、Kが自殺した理由をさっぱり書いてないので、こっちがアクティブに心の動きを類推しなきゃいけないっすからねぇ。こういうタイプの小説を文学的と定義してるんですな。
でもって、データを分析したらこんな結果になりました。
- 文学的な小説をよく読む人ほど……
- 帰属複雑性が高い(つまり、人間の心理や行動に興味がある)
- 自己中心的なバイアスが低い
- 他人の心を読む能力が高い
- エンタメ系の小説をよく読む人ほど……
- 帰属複雑性が低い(人間の心理や行動への興味は薄い)
- 自己中心的なバイアスが高い(みんな俺と同じようなことを思ってるだろう!と思いやすい)
ってことで、文学的な小説を読む人ほど、他人の表情から感情を読み取る能力が高かったそうな。研究チームいわく、
私たちは、自分自身や対人関係、社会の仕組みなどについて、フィクションから多くのことを学ぶ。言い換えれば、フィクションは私たちの世界の見方に影響を与える。
しかし、すべてのフィクションが同じように思考を形成するわけではない。文学的な小説を読むことで、- 他人が何を考えているか、何を感じているか、何を意図しているかなどを推測し、表現するのが上手になるようだ。
文学的な小説はエンタメ系の小説よりもより複雑な人間心理を描いている。そのため、文学の読者は、他者の行動や社会についてより複雑なスキーマを開発しているのだろう。
とのこと。文学を読むと多様な視点や思考に触れることができるんで、そのぶんだけ脳内の社会モデルが複雑になっているのだろう、と。他人の心を読みたい方は、文学に触れてみるのもいいかもっすな。
ちなみに、これだけ見ると文学のほうが上のような印象を持つかもしれませんが、そこらへんは研究チームがちゃんと戒めておりました。
私たちは、文学がエンタメよりも優れていると言っているのではない。人間にはどちらの思考タイプも必要だからだ。
文学的な思考は、他者を個性的な個人として評価し、私たちに深い思考をうながす。これはとても重要な思考法だが、いっぽうでは社会生活をスムーズに送れなくさせる可能性もある。エンタメ系の思考は、私たちの社会的なルールを学習し、文化的なスキーマを強化してくれるからだ。
要するに、文学的な思考ばかりだと熟慮にハマって行動を起こせなくなる可能性もあるので、バランスが必要だよーってことっすね。ここらへんの問題は食事と同じようなもんで、文学もエンタメも同じぐらいの割合で触れていくのがいいんでしょうねぇ。