2023年9月に読んでおもしろかった5冊の本と、2本の映画
月イチペースでやっております、「今月おもしろかった本」の2023年9月版です。ここで取り上げた以外の本や映画については、Twitter(X?)やインスタグラムのほうでも紹介してますんで、合わせてどうぞー(最近はほぼインスタがメインですが)。
やりなおし世界文学
小説家の津村記久子さんが、実は未読だった世界の名作を読んでみる本。
世界の名作を語る本というと、「ドストエフスキーの神学的な視点がー」とか「ドリアン・グレイにおける芸術至上主義がー」みたいに専門的な話題が展開して、「なんのこっちゃわからんな……」といった気分になることもしばしば。しかし本作は、あくまで著者の実感から感想を積み上げるので読みやすく、その感情に嘘がないせいで納得度が高いのがすばらしいっすね。
たとえば、『ドリアン・グレイの肖像』に対して「主人公の頭がカラッポ」って実感から説き起こすんだけど、そこにとどまらずに「若さゆえのカラッポさに取り組む作者の凄み」へ展開させていって、読解の新しい角度を提案してくれるんですよ。
これが実作者ならではの芸なのか、津村さんの解像度の高さによるものなのかはわからんですけど、すべての作品について新鮮な読み方を提案してくれて、既読の作品もあらためて読みたくなりました。文学レビューの最高峰かもしれん。
博士が解いた人付き合いの「トリセツ」
「人間の行動はよくわからん!」と悩み続けた自閉症スペクトラムの生化学者が、持ち前の知識を使って、ヒトの世界を統べるルールを解読していく本。
書名だけ見るとコミュニケーションに関する自己啓発本みたいだし、各章の見出しもそれっぽいんだけど、「人間関係をうまくやる秘訣を手に入れるぞ!」とか思って読むと期待を外すのでご注意ください。
実際には、この本の内容ってのは、「人間の行動が理解できない著者が、タンパク質や分子化学の知識をメタファーに使いつつ、人間関係はもちろん、意思決定、紛争、人間関係やエチケットの仕組みをどうにか理解していく奮闘記」って感じなんですよ。その思考プロセスが本書の読みどころで、特定の社会問題を取り上げながら、機械学習やらエルゴード理論やらを使って分析していく様子が、頭が良い人の脳を覗いている感じで楽しいんですな。
そのメタファーの使い方については、「これって本当に人間の行動を言い当ててるか?」と思うところがありつつも、自分とは異なる思考スタイルに心を開かせてくれるのは間違いないし、ひいては世の中を違った視点から見せてくれる効果を持っております。その点で、唯一無二の科学書として成立しているんじゃないかと。
傷つきやすいアメリカの大学生たち:大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体
現在のアメリカの大学に蔓延するポリコレやキャンセルカルチャームーブメントの始まりはどこか?を掘り下げていき、「95年生まれの世代から政治の二極化が見られる」現象を引き合いに出し、「安全をことさらに強調し過保護な文化が広まったせいだ!」と主張する本。
危険の強調やリスクへのこだわりが脆弱性を生み出すって指摘は、そのとおりですよねーって印象でした。現代の若者の脆弱さは、ゼロリスクを教える現代教育がもたらす認知のゆがみが原因だとしたうえで、認知行動療法や「かわいい子には旅をさせよ」と説くあたりがおもしろいっすね。
ただし、「現代の学生が本当に脆弱なのか?」「もし脆弱だとして、それは本当に高等教育がもたらすゆがみなのか?」ってポイントについては、「論証が甘くないか?」と思うところも多め。この点については、他にも複数の理由が考えられるんで、そこをぶっとばして全体数では割と少なめなキャンセルカルチャーに的を絞っていくのが、だいぶ性急に感じますかね。
また、ここで引用されるジーン・トゥウェンジ先生の仕事も、すでに各方面から統計の不備を指摘されていて、データの取り方によっては「別にいまの若者ってそんなに昔と変わらんでしょ」って結論が出たりもしますからねぇ。そこに立脚した論はちょっと弱いよなーとも思うわけです。
とはいえ、本書が提案する「脆弱性の仕組み」や「被害者意識の形成」の指摘にはうなずけるし、道徳的な思考に依存することの危険性にも大きく共感できる所でした。「安全は必要だが、しかし安全すぎてもいけない」ってのは、まさにそのとおりですよね。
母という呪縛 娘という牢獄
30代の娘が母親を殺害した後で解体した2018年の事件を追ったルポ。
なんとなく耳にしたことがあるレベルの事件だったんですが、幼いころから教育虐待を受け続けた女性が、ついに母親の殺害を決意するまでの詳細を知るにつけ、ただただ「しんどい」の一言でした。テストの点が悪かった娘にキレて熱湯をかけ、ウソをついた娘の尻を鉄パイプで殴り、さらには庭で土下座する娘をスマホで撮影し……といったリアルな虐待の描写は、似たような経験を持つ方には、フラッシュバックの危険もあるかもしれません(私も過去の嫌な経験を思い出して、暗い気分になりました)。
なかでも辛いのがLINEのやりとりで、娘の外見、才能、性格を侮辱し、自分の被害感情だけを訴え、子どもの感情はすべて矮小化し………という、負のコミュニケーション技法の詰め合わせセットみたいになっていて、これもまたしんどい。この環境にいたら、確かに学習性無力感が植え付けられるだろうなぁ、と。
惜しむらくは、母親が抱いていただろうコンプレックスの内容がよく分からないところで、できれば父親やアメリカに住む祖母の話も聞いてみないと、この地獄ができあがった仕組みがわかりづらいなーってのは、ちょっと残念でした。でも、読む価値は十分にあり。
嫌いなら呼ぶなよ
不倫夫が妻と妻の友人から公開裁判される表題作をふくむ短編集。
どれも適度なエンタメ性があって読みやすく、それでいて共感の難しい主人公の内面を説得力ある形で描き抜いててすごい。特に表題作では地獄のホームパーティーが展開されるなか、主役のサイコパス男が持つ三分の理が少しずつわかり始め、やがて「正義って怖いなぁ」って気にさせられる展開もいいっすね。
その他、推しユーチューバーに客観的な姿勢を取ってるつもりが着実に愛情が暴走していく姿を描いた話とか、老害作家とライターの間にはさまれて苦しむ編集者を描いた話とか、ちょっと筒井康隆を思わせるシニカルさが全開で、めっちゃ楽しめました。
オクトパスの神秘: 海の賢者は語る
主人公の海洋学者がタコに恋する実話を描く、アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞作。「タコに恋する」ってのは比喩でもなんでもなく、人生に疲れた海洋学者が、ふと出会ったメスダコとのコミュニケーションに成功したあげく、本当に「彼女のことばかり考えている!」ってセリフが飛び出すまでにいたるんですよ。
というと、たんにアレな人の話みたいですけど、実際に映像を見てみると、好奇心いっぱいの様子でカメラに手を差し伸べてくるタコの仕草は愛らしいし、海洋学者の胸に飛び込んでハグしてくる姿は超かわいいしで、「これは愛情がわくのも当然だ!」と視聴者にも思わせるだけの説得力があるところに驚かされました。
タコとの出会いから別れまでを描く構成も見事で、海洋学者と仲良くなるロマンスシーンあり、タコがサメに襲われるサスペンスシーンあり、大自然への畏敬を感じさせる別れのシーンありで、ここ数年で一番のセンス・オブ・ワンダーを感じたかも。オススメ。
マイ・エレメント
火、水、土、風を擬人化したキャラによるロマコメ。
大テーマである差別と偏見の扱いについては「ズートピア」のほうがスムーズだし、「この世界の物理ルールはどうなってるんだ?」と思うところもあるし、土と風のキャラ設定がよくわからないとこもあるし……といったモヤモヤがありつつも、恋愛映画としての表現が愛らしく、思わず見入っちゃう美しいシーンが山ほどあり、火と水の特性を活かしたトンチも楽しく、世界観の構築ぶりは最高だしで、最終的には泣いてしまいました。
ラセターさんを欠いた後のピクサーは、なかなか辛い戦いを強いられてますけど、今作はかなり良いんじゃないでしょうか。