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「最高の体調」のボーナストラック編#5:「狩猟採集民の死生観」

Conditoon2

 

最高の体調」に収録しきれなかった文章を紹介していくコーナーでーす。

 

 

このコーナーが生まれた由来を知りたい方は「「最高の体調」のボーナストラック編#1:「ポリフェノールと腸」」をご覧ください。要するに、予定より原稿を書きすぎちゃったんで、あまった文章を供養してやろうという試みです(笑)

 

さて、ここで紹介するのは、第7章「死」に収録する予定だったパートです。この章は「ヒトは『死』とどのように向き合ったらいいんだろう?」みたいなことを書いてるんですが、そこで「狩猟採集民の死生観」の話を実はもうちょいくわしく書いてたんですよ。

 

 

先進国の人間と狩猟採集民の「死」のとらえ方の違いとは?みたいな話になってますので、第7章「死」の補遺としてご参照ください。

 

 

死の不安に関する戦略

 古来から、多くの賢人が「死の不安」に関する戦略を編み出してきました。

 


 たとえばキリスト教の世界では、死んだ者は最後の審判で裁きを受け、神の国で永遠の安息が得られるかどうかが決まります。「死」を生命の終わりだとは考えず、たんに神のもとに帰るきっかけだと解釈しなおしたわけです。

 


 イスラム教でも似たような戦略が採用されており、死後にアッラーの裁きが行われるシステムは変わりません。どちらも、2000年以上にわたって人類の不安を慰めてきた、伝統的なシステムです。

 


 しかし、科学が進んだ現代に生きる私たちが、いまさら天国や地獄の存在を信じるのは不可能でしょう。

 

 現代人にとっての死は「無」であり、命を終えたら後には何も残りません。その事実をふまえたうえで、私たちは死の不安を乗り越えていかねばならないのです。

 

 

狩猟採集民の死生観とは?

 ここで、いったん狩猟採集民の死生観を確認しましょう。残念ながら狩猟採集民の死の概念について調べた定量研究はありませんが、人類学者がフィールドワークの記録を残しています。

 


 お茶の水女子大学の原ひろ子は、1960年代にカナダの北極線上で暮らすヘヤー・インディアンと共に暮らし、彼らのライフスタイルを記録しました。そのなかに、ある男性の死に際を描いた場面が登場します。

 

「チャーニーが昨夕、夢から醒めてから自分は死ぬと言いだしたのは、守護霊のお告げがあったからだ。

また今日思い出話をしていて、途中で目を閉じ、沈黙するときも、守護霊と交信しているのだと人々は信じている。

チャーニーが話を休めると、まわりの者は互いに身をすり寄せ合っては、チャーニーが良い死に顔で死ぬようにと祈るのである。

良い死に顔で死ぬことは、死にゆく本人の願いでもあり、見送る人々の願いでもある」


 守護霊の導きで自らの死を悟った男は、特に恐怖を見せることもなく、ただ「良い顔で死ぬ」ことを目標に最期をむかえました。原教授の報告によれば、地元の医療関係者も、ヘヤー・インディアンは先進国の人間より死への恐怖が薄いと証言しています。

 


 もうひとつ有名なのは、写真家のナンシー・ウッドがニューメキシコ州のプエブロ族から聞き出した伝承詩でしょう。

 

「今日は死ぬのにもってこいの日だ。

わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。

わたしの畑は、もう耕されることはない。わたしの家は、笑い声に満ちている。

子どもたちは、うちに帰ってきた。

そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ」


 これまた、死への恐怖を感じさせない軽快な死生観です。このような感覚が生まれた理由は不明ですが、多くの人類学者は、やはり彼らの時間感覚を重要視しています。

 

 

狩猟採集民の時間認識と死

 オックスフォード大学のヒュー・ブロディは、狩猟採集民の死と再生の感覚を次のように描写しました。

 

狩猟採集民の時間認識は、再生の考えにも色濃く反映している。肉体が死ぬと霊魂は別の肉体に宿り、または姿を変えて戻ってくるという輪廻の考え方を、私はついぞ信じたことがない。だが、亜北極の狩猟採集民を含めて少なからぬ人びとがこれを信じている。子供が生まれると、両親や祖父母は誰の再来か、子細に印をあらためる。痣や、目鼻立ち、その他の身体的特徴から、親族のうちの誰の生まれ変わりか知ろうとするのである


 狩猟採集社会には「生まれ変わり」の観念が存在し、死んだ者は精霊の国でしばらく暮らしたあと、別の生命として生まれ変わります。

 

 

キリスト教のように遠い未来に最後の審判が起きるわけではなく、狩猟採集民にとっての生と死は、あくまでつねに同じような時間が循環を続ける現在の事象です。そのぶんだけ未来との心理的な距離は縮まり、不安も減ります。

 

 

 これらの話は、狩猟採集民が死の恐怖を感じないという意味ではありません。アイヌ人の埋葬風習について調べた1952年の報告によれば、彼らは極度に死体や病気を恐れ、死にまつわるものを「ケガレ」と呼んで墓地を指差すことすら嫌ったと言います。

 


 大事なのは、「短期の死」と「長期の死」の区別です。

 


 狩猟採集民がおびえる死とは、猛獣に襲われ、謎の疫病にかかり、悪霊が自分の魂を連れ去るかもしれない目の前の現実に抱く恐怖がメイン。未来が近い狩猟採集民にとって、死の恐怖はつねにリアルな事象です。

 


 いっぽうで現代人は、いつ訪れるかもわからない「死の予感」に対して、無意識の不安を募らせます。これまで積み上げた富や地位、学んできた知識、愛する人々との関係性が、遠い未来のどこかで急に奪い去られてしまう可能性への恐れです。


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