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「本当の自己分析」って超ムズいから、原因を押さえておこうぜ!#1「暗黙のエゴイズム」


 

『人はどうやって自分を知るのか?(How Do We Know Ourselves?)』って本を読んでおります。著者のデビッド・マイヤーズさんは、ホープ・カレッジの社会心理学者で、人間の感情やつながりを研究している、有名な先生ですね。

 

で、本書をひとことでまとめると、

 

  • 本当の自分を知ることをジャマするバイアスっていっぱいあるよねー

 

みたいになります。「人間は本当の自分を見つめるのが苦手!」ってのはよく聞く話ですけど、その原因をひたすら教えてくれる本になってます。

 

なので、本当の自分を知るための具体的なテクニックを伝えてくれるわけじゃないんですけど、こういうバイアスってのは、「自分はこんな認知の歪みを持っているんだなー」って知識を持っておくだけでも立ち向かいやすくなりますんで、押さえておくと有用じゃないでしょうか。

 

ってことで、本書からためになったところのまとめです。

 

 

本当の自分を知ることをジャマするバイアス1. 暗黙のエゴイズム

  • たいていの人は、「暗黙のエゴイズム」という心理を持っている。これは、無意識のうちに自分自身に関するものを好む傾向のことである。

    例えば、多くの人は、自分の名前に入っている文字や、自分の誕生日に使われる数字を好む傾向がある。また、自分に似ている人をより好む傾向もある。

 

 

  • 暗黙のエゴイズムはいろんな場面で顔を出し、例えば、ジャクソンビルという都市では、ジャックという名前の男性が、フィラデルフィアより2.2倍も多い。一方で、フィラデルフィアにはフィリップという名前の男性が10.4倍多い。

    同じように、ヴァージニア・ビーチにはヴァージニアという名前の女性が圧倒的に多いし、セントルイスにはルイという名前の男性が全国平均より49パーセントも多い。つまり、私たちは、無意識のうちに、自分自身を思い起こさせる場所に惹かれる。

 

 

  • また、人は自分の名前に似た職業に引き寄せられる傾向もある。例えば、アメリカでは、デニスという名前の歯科医は、ジェリーやウォルターといった他の一般的な名前より2倍多い。

 

 

 

本当の自分を知ることをジャマするバイアス2. 選択的不注意

  • 腕利きのマジシャンほど、私たちの注意力を奪い、目前にあるものを見えなくするのがうまい。これは「選択的不注意」と呼ばれる現象で、ある実験では、動画内の人がボールをパスした回数を数えるタスクに集中した人は、傘をさした女性がその場を歩いているのに気づけなかった。追跡実験では、一輪車に乗ったピエロを見逃すこともあった。このように、私たちの注意は強力な選択性を持っており、ひとつのことに注意を向けると、他のことはすべて無視される。

 

 

  • また、「選択的不注意」が働くのは視覚だけではない。例えば、ある人の片耳に斬新な曲を流し、その人はもう片方の耳に特定の言葉を繰り返した実験では、参加者は、今聞いた曲が何であったかを特定できなかった。

 

 

  • さらに、他の研究では、「選択的不注意」が感覚にも働くことが報告されている。例えば、スリが盗みを働くときには、まずはターゲットとぶつかってからポケットに手を入れる。これは、体にぶつかった衝撃で「選択的不注意」が生まれ、盗まれたことに気づきにくくなるからである。

    とはいえ、このような触覚の不注意は、時としてメリットに働くことがある。腰痛や捻挫などの痛みは、注意をそらすことであまり感じなくなるからである。

 

 

  • 別の実験では、不注意は嗅覚にも働くことがが実証されている。研究の参加者は、頭を使う課題に集中しているとき、部屋に漂うコーヒーの香りに気づくことはほとんどなかった。

 

 

 

本当の自分を知ることをジャマするバイアス3. 他人は自分より幸せだ現象

  • コーネル大学の研究では、11の実験を行った結果、大学生、普通の買い物客、ネットユーザーといった人たちの大半が、「他人は自分よりも楽しい生活を送っている」と考えていることを発見した。「他の人々は、より多くパーティーを開き、より多く外食をし、より多くの友人を持ち、私より楽しんでいる!」と思うのが、一般的な心理傾向である。

 

 

  • 多くの人が、自分の生活を「人より不幸だ」と認識しているのは、私たちが他人の情報を入手する際に使うリソースに偏りがあるからである。

    通常、私たちが他者と自分を比べるときは、「現実」よりも「日常から離れたもの」を使う。言い換えれば、多くの人は、友人たちの日常的な生活よりも、友人たちの「活動」のほうに注目しがちとなる。その結果として、「Aさんが家で何時間もテレビを見続けていた」という現実よりも、「Aさんがパーティーに行った」という束の間の活動に意識を持っていかれてしまう。

 

 

  • このような比較の中心にあるのは、言うまでもなくソーシャルメディアである。過去の研究によれば、積極的にフェイスブックを使った場合は(メッセージを送ったりとか)、社会生活がよりよい方向に改善することがわかっている。

    しかし、受動的な利用、例えば、他人のフィードをスクロールして読むだけのような使い方は、幸福度の低下をもたらす。自分は他人より貧乏か金持ちか、痩せているか太っているか、頭が悪いか賢いかなどを、つねにネットで判断していたら、「私は社会的に劣っている」という感覚が増幅するのは当然といえる。セオドア・ルーズベルトがかつて言ったように、「比較は喜びの泥棒」である。

 

 

  • ところが、私たちの人生と他人の人生には、結局のところそれほど大きな違いはない。実際、あなたの友人は、たいていあなたと同じように「自分の人生はつまらない」と感じている。

    なので、もし「自分はクール な人間ではない」と思ったときは、そこに比較の罠が働いていないかどうかを、まずはチェックしてみるとよい。

 

 

と、いくつか書いてたら長くなったので、本稿はもうちょい続きます。


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1976年生まれ。サイエンスジャーナリストをたしなんでおります。主な著作は「最高の体調」「科学的な適職」「不老長寿メソッド」「無(最高の状態)」など。「パレオチャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/paleo)「パレオな商品開発室」(http://cores-ec.site/paleo/)もやってます。さらに詳しいプロフィールは、以下のリンクからどうぞ。

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