スキンケアの専門家「5年間シャワーを浴びるのを止めたら良かったぜ!」
https://yuchrszk.blogspot.com/2023/12/5.html
「クリーン:皮膚の新しい科学(Clean:The New Science of Skin)」って本を読んでたら、著者が「5年間シャワーを浴びるのを止めたら良かったぜ!」って体験談を述べてて面白かったです(ぬれタオルで身体をふくぐらいにしてたらしい)。
まぁ、それだけ聞くとめっちゃうさんくさいんですけど、著者のジェームズ・ハンブリン先生は、イェール大学公衆衛生大学院で講義をする医師だったりするんですよ。なので、そんなに根も葉もないことを言ってるわけでもないんですな。そもそも「衛生にこだわりすぎる現代の環境が病気の元になってるのでは?」って話は、「最高の体調」でも強調したところですしね。
本書でハンブリン先生が言っているのも同じことで、現代人がやっている衛生やスキンケアのルーチンは、役に立つどころか実際には有害じゃないの?って話ですね。実際、この本を書くために、先生は5年間シャワーを浴びなかったそうで、 石けんを使うのは手洗いのときだけに限るという実験をしてみたんだそうな。
その結果、先生の肌は劣化するどころか、37年の人生でかつてないぐらい絶好調になったとのこと。この経験とデータをもとに、先生は以下のような教訓を導き出しておられます。
教訓1. 清潔がアレルギーを生む……こともある
- 細菌から子供たちを守ろうとするあまり、現代人は生涯にわたるアレルギーを生み出している可能性がある。皮膚に生息する生物やバクテリアは人体を守る働きをしているが、それらを洗い流せば洗い流すほど、外敵の侵入を受けやすくなるからである。
- 多くの研究では、アレルギー性鼻炎、喘息、湿疹などは、抗菌性石鹸(あるいは石鹸全般)の使いすぎによって引き起こされる可能性を示している。石鹸は皮膚の油分を除く作用があるが、これが微生物の餌となる皮脂を取り除いてしまう。
- 基本的に、たいていの汚れは、水とペーパータオルや使い捨てのタオルケットを使えば問題なく落とすことができる。そんな強力な汚れ落としが必要なケースはほとんどない。
教訓2.顔ダニと仲良くする
- 皮膚科学は、ある意味で「自己は存在しない」という仏教の考えを支持している。皮膚科学の世界では、自己と他者という二項対立が存在せず、すべては連続体だと考えるからである。「あなた」という存在はダニを含む生物とバクテリアの集合体であり、私たちの顔の皮膚に住み込んでいる。
- というとダニを取り除きたくなるかもだが、2014年の調査によると、これらの生物は天然の角質除去剤として機能している。これらのダニが多すぎると皮膚病が起きるが、ダニがいなければ吹き出物や感染症にかかりやすくなる。
教訓3.スキンケア業界には規制ない
- ハンブリン先生は、自分でスキンケア商品を作る実験もしている。スーパーでホホバオイルやシアバターなどを買い、キッチンですべての材料を混ぜた後で、アマゾンで買ったガラス瓶とラベルでコーティングした格安品だが、これを25,000円で売り出したところすぐに売り手がついた(実際には販売しなかったとのこと)。
- しかし、驚いたことに、これらの成分をFDAに報告する必要はなく、その効果を記したり、安全性の証拠を提出する必要もなかった。ハンブリン先生が行ったのは営業許可の申請だけであり、これで安全性が担保される可能性は限りなく低い。
教訓4.みんな消毒薬を使いすぎ
- 今の人は、なにかといえばすぐに消毒液で家具を掃除したりする。しかし、このような商品が効果を発揮するには、家具の表面に塗りつけて約10分間ほどは放置する必要がある。実際に、石鹸と水で表面をふき掃除するだけでも十分に効果はある。
- また、環境中のあらゆる "細菌 "を定期的に除去していると、確実にバックファイアが起きる。現代人を悩ませる慢性疾患のいくつかは、消毒液の使いすぎによるところが多いと思われる。実際、狩猟採集民やアーミッシュの人々は、幼少期から農場で共同作業をしているため、マイクロバイオームが最適に多様化しており、自己免疫疾患やそれに関連する炎症にかかる可能性が低い。
教訓5.体臭を減らしすぎるのも問題だ
- 多くの人は、ストレスを感じると体臭が悪化するケースが多い。また、近年では、犬を訓練することで、人間のガンを嗅ぎ分けられる能力を得られる可能性も指摘されている。また、体臭は、恋愛関係にも大きな役割を果たしており、心地よい体臭を感じる相手をパートナーに選ぶ人は少なくない。
- このように、私たちが発する何百もの微妙な揮発性の化学的シグナルは、他の人々とのコミュニケーションや、自分の体調をモニタリングする際に役立っている可能性がある。そのことを考えれば、体臭を除去しすぎるのも問題が大きな行為だと言えそうである。