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常に予想が外れまくる「逆神」は実在するのか?問題



逆神って表現があるじゃないですか。 予想がことごとく外れてしまう人のことで、

 

  • 上がると断言した株が直後に下がる

  • ヒットすると予測した商品が全く売れない
  • 絶対に人気が出ると判断した芸能人が全く売れない

 

みたいな人物を指しております。評論家やコメンテーターなどで、 そう呼ばれている人は少なくないっすね。

 

で、このような逆神」は実在するのか?ただの偶然なのか?ってことで、新しいデータ(R)がそこらへんを深掘りしてくれておりました。

 

ここで研究チームが目をつけたのは「オンラインの映画レビュー」で、ロッテン・トマトに掲載された映画評論家たちによる公開前の映画評を分析したんだそうな。要するに、

 

  • その評論家が良いと言った映画が失敗する
  • その評論家が悪いと言った映画が成功する

 

って感じで、作品の評価と興行成績がつねに逆を行くような批評家は存在するのか?ってのを調べたわけですね。

 

ちなみに、過去にも、オンラインの批評と映画の成功の 関係を調べた研究はありまして、おおよそ以下のような結果が出ているそうな。

 

  • 基本的に、プロの批評家や視聴者のコミュニティからの映画評価二より、総興行収入は予測できる。
  • 肯定的なレビューと否定的なレビューの両方が興行収入と相関しているが、否定的なレビューの影響は時間の経過とともに減少する(肯定的なレビューではなく)。

 

ってことで、 やはり映画の批評と興業成績には一定の関係があるらしい。 ならば、つねに評価と結果が 逆を行くレビュアーが存在 してもおかしくないわけですね。

 

で、大量のレビューと興業成績を調べ、さらに各批評家の文章も解析したところ、 以下のような傾向が確認されました。

 

  • 前提として、逆神レビュアーは確実に存在する。 このレビュアーが批判した映画は成功しやすく、絶賛した映画ほど失敗に終わる傾向があった。

 

  • 逆神レビュアーの文体には以下のような特徴があった。


    • ポジティブな批評を書くとき、逆神レビュアーは自己言及代名詞の割合が非常に低かった(つまり、「私は」「自分の意見では」 みたいな表現が少ない)。この現象は、おそらく逆神レビュアーほど自分の能力を過信しており、そのせいで、より客観的に見える文章を書こうとするのが原因だと思われる。


    • フィラーの割合が非常に低い傾向もあった(「You know」とか「Like」とか「Kind of」みたいな)。 これもまた、自分を過信していることの表れだと思われる。


    • 逆神レビュアーほど、フォーマルな文体を採用する傾向もあった。このことは、逆神レビュアーが地位や権力を重視し、大衆の意見に対する目配せが少ないのが原因だと思われる。


    • ネガティブな批評を書くとき、逆神レビュアーは、分析的な文章と形式的な文章を組み合わせて書く傾向がある。分析的な文章とは、単に事実を提示するだけではなく、トピックの本質的な分析と評価を表現しようとするものである。しかし、このタイプの文章は、 脳の情報処理の負荷が高いため、確証バイアスを生み出しやすく、 そのせいで逆神 現象が起きるのかもしれない。


    • さらに逆神レビュアーは、形容詞が少なく、副詞の量が多い傾向もあった。 先行研究によると、この2つの特徴は外向的な性格と関連しているため、逆神レビュアーは自分の 能力を楽観視しすぎている可能性がある。

 

ということで、逆神レビュアーたちは、 自分の能力を過信しており、さらには批評家としての地位や権力をアピールしたい欲求が強いため、映画の成功とはかけ離れた結論に落ち着いてしまうのではないかと言う結論ですね。 簡単に言うと、過信のせいで先入観にとらわれやすい人ほど逆神になりやすいってことで、 これは映画だけでなく、ビジネスの世界でも言えることかもしれませんね。

 

では、 上記のような条件を満たした映画レビューとはどのようなものかということで、生成AIを使って、1997年の映画「北京原人」の批評を書いてもらったらこうなりました。

 

映画「北京原人」は、1997年に公開された日本・香港合作のSF映画である。第二次世界大戦中に失われたはずの北京原人の頭蓋骨を手に入れた日本政府は、有人シャトルにより宇宙空間において原人のDNA操作を行なう。しかし、そのとき隕石がシャトルに追突し、原人は現代に甦る。

本作は、北京原人と人間との交流を描いた作品である。北京原人は、人間の知能や感情を持ち、人間社会に溶け込んでいく。しかし、その存在は人間社会に大きな衝撃を与え、さまざまな問題を引き起こしていく。

本作の特筆すべき点は、特撮技術の革新性である。当時としては最新鋭のCG技術を駆使して、北京原人の姿をリアルに再現している。また、北京原人の動きや表情も、人間と見分けがつかないほどの精巧さである。

しかし、脚本や演出の面では、残念ながら、期待外れであった。脚本は、SF映画としては、稚拙で、中盤以降は展開が単調になる。また、演出も、特撮シーンは迫力があるものの、人間ドラマの部分は、観客を置いてけぼりにするような、杜撰なものである。

総合的に評価すると、本作は、特撮技術の面では、優れているものの、脚本や演出の面では、論外の作品である。

 

 

うーん、 実に偉そうな批評ですが、 こういった文体はプロだけでなく、アマチュアの世界でもよく見かけますね。 このタイプの文章を見かけたら、「あれ?もしかしたら逆神かも?」 と思ったほうがいいかもしれません。

 

 


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1976年生まれ。サイエンスジャーナリストをたしなんでおります。主な著作は「最高の体調」「科学的な適職」「不老長寿メソッド」「無(最高の状態)」など。「パレオチャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/paleo)「パレオな商品開発室」(http://cores-ec.site/paleo/)もやってます。さらに詳しいプロフィールは、以下のリンクからどうぞ。

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