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脳の予測がカギ?「疲労」と「努力感」を区別してパフォーマンスを上げる方法

 

皆さんも運動中に「もうムリ!」って感じたことが、1度や2度ならずあるのではないでしょうか? たとえばHIITしていて、もうダッシュで40秒を過ぎたあたりから、急に足が重くなって動けなくなるあの感じですね。もちろん体は疲れてるんですが、それだけじゃ説明がつかない感覚ってのがありますわな。

 

実はこのような運動における「もうムリ!」という感覚は、その原因が科学的にはいまだによくわかっていなかったりします。「疲労なんて体の消耗でしょう?」と思うかもしれませんが、実際に研究してみると、まだ体には余力があるにもかかわらず「もうムリ!」状態に陥る人がとても多いことがわかってきてるんですね。

 

で、この問題を解決するために、最近出てきたのが「脳の予測理論」をベースにした新しい疲労モデルでして、これがなかなか面白いんですよ。

 

このモデルを提唱したのは、イギリス・ブライトン大学のチーム(R)で、ここの先生方は「運動によって生じる主観的疲労(Exercise-induced Perceived Fatigue)」を、これまでとは違う観点から説明しようと試みたんですな。

 

ここで研究チームが使っているのが、「予測的処理理論(Predictive Processing)」ってやつでして、この理論では、脳は外界からの情報を受け取って判断しているのではなく、「先に予測しておいて、それが正しいかどうかを感覚情報で検証する」仕組みになっていると考えられています。いわば、脳は常に「世界がこうなるはず」と先回りしてシミュレーションしているというわけでして、「無(最高の状態)」に書いた話と同じようなもんですな。

 

あんまり運動の疲労とは関係がなさそうな理論ですが、こいつを疲労に応用すると、以下のようなメカニズムが働くんじゃないかと研究チームは考えたんですな。

 

  1. 脳は「体の状態はこの範囲に保たれるはず(心拍数・体温・血中酸性度など)」と予測している
  2. ところが、運動を続けていると、実際の生理状態がその予測からズレてくる
  3. そのとき、「予測が外れたぞ!」というエラー信号が出て、「もうヤバいかも」という感覚=疲労が生まれる

 

要するに、脳の予測と体からの入力信号が一致しなせいで、主観的に「もうダメだ!」って感覚が生まれるんじゃないか?という考え方ですね。言い換えれば、疲労ってのは「脳が自分の予測能力に自信を失ったサイン」だって話ですな。

 

こいつをもう少し具体的に見てみると、研究チームが定義する「主観的疲労」っては、単に「眠い」とか「モチベがない」とか、あるいは「頑張れないくらいキツい」といった感覚とは別モノで、具体的にはこのような定義になっています。

 

  • 「現実でも想像でも、身体的または精神的なストレスに対処する能力が低下していくという感覚」

 

つまり「今の状態では、もうちょっと続けるのは無理かも……」という、能力の低下を予感する感覚が「疲労」なのだって考え方ですな。この考え方は、ある意味で「セルフエフィカシー(自己効力感)」に近いもので、実際に研究者の中には「それって単なるエフィカシーの話では?」と指摘する声もあったりはします。

 

ただ、この「予測のズレが疲労になる」って考え方には、ちゃんと実験の根拠もありまして、

 

  • ある研究では、被験者に自分の指を前後に動かしてもらい、その動きをモニターで見るように指示。その映像にわずかな遅延を加えると、「指が思った通りに動いてない!」という感覚が生まれて、筋肉の疲労感が増したとのこと。

 

  • さらに別の研究では、指に疲労物質(代謝産物)を直接注入して、化学的にホメオスタシスを乱したところ、やはり主観的な疲労感が高まったとのこと。

 

って報告がされております。これらの事例を見ると、体がどうこうというより、「脳の予測が裏切られた」ときに疲労感が出てくるっぽいなーとは思うんですよね。

 

でもって、ここで面白いのが「疲労」と「努力感」は別の感覚だと指摘されている点です。努力感ってのは、「今どれだけ頑張ってるか?」の感覚のことで、たとえばマラソン中に「うわーキツい!」と感じるのがこれですね。これまでの研究によれば、努力感は運動をやめた瞬間にスッと消えるのに対し、疲労感は残るそうでして、つまり、

 

  • 努力感=その場のキツさ(リアルタイム)
  • 疲労感=これ以上ムリっぽいという予測(未来)

 

という違いがあるんですな。運動を続けるかどうかを決めているのは、おそらくこの「努力感」のほうで、限界になると努力感がピークに達して、そこで身体の働きがストップするという仕組みになっております。その一方で「疲労感」は、運動のペースを調整したり、「今日は無理しないでおこう」と判断するための、もう一つの信号なのかもしれませんな。

 

まあ、このへんまで来ると「もう訳がわからん……」となってしまいそうですが、私としては次のように整理すると良いかなと思っております。

 

  • 疲労とは、「自分の能力に対する脳の予測が崩れたサイン」
  • 努力感とは、「今この瞬間にどれだけ頑張っているか」の主観的感覚
  • 痛みや不快感は、それぞれまた別の感覚として、努力感や疲労感に影響を与えてくるもの

 

このへんの感覚の違いをよく理解しておくと、「努力感=もうダメ!」と早とちりして、まだ余力があるのに運動のペースを落としたりしがちな問題をクリアしやすくなるんじゃないかと思うわけです。たとえば、自分の中に「もうムリ!」って感覚が出た時に、「これはただの努力感だな」「これは疲労感かも」みたいに自分の中でラベルをつけることで、自分の限界をもうちょっと押し広げられるかもなーってことですな。

 

こういった話には、個人的にも非常に強い説得力を感じておりまして、私もHIITをやってる時などは「今のは疲労?努力感?痛み?」などと考えながら体を動かしてたりします。それで効果が出てるかはまだよくわからんのですが。

 


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1976年生まれ。サイエンスジャーナリストをたしなんでおります。主な著作は「最高の体調」「科学的な適職」「不老長寿メソッド」「無(最高の状態)」など。「パレオチャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/paleo)「パレオな商品開発室」(http://cores-ec.site/paleo/)もやってます。さらに詳しいプロフィールは、以下のリンクからどうぞ。

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