フィクションが”好きすぎる”人はコミュニケーションに問題を抱えているのだ!説
映画や小説が好きな人ってのは、一般に「文化的だ!」や「共感力が高そう!」みたいなイメージを持たれやすいもんです。あとは「内向的だ」とか「オタクっぽい」ってのもあるかもですが。
で、新しい論文(R)では「フィクションが”好きすぎる”人はコミュニケーションに問題を抱えているのだ!」って内容になってまして、そうかもしれませんなーって気になりました。
これはオハイオ州立大学の研究で、1,039人の男女にオンラインでアンケートをとったんですね。具体的にどんなポイントをチェックしたかというと、
- 愛着スタイル(他人とどんなコミュニケーションを取りがちか)
- どれぐらい映画や小説、テレビドラマにのめりこんでいるか
の2つです。愛着スタイルってのは「他人とのコミュニケーション」をベースにした性格分類で、くわしくは「あなたの性格は住む場所によって大きく変わる」をご参照ください。
でもって、すべてのデータをまとめたところ、こんなことがわかりました。
- 愛着スタイルの「回避型」が高くて「不安型」が低い人は、そこまでフィクションにはのめり込まないし、キャラクターにも感情移入しない
- 「不安型」が高い人ほど、フィクションの世界にハマってしまう傾向がある
- 「回避型」と「不安型」がどちらも高い人は、最強にフィクションの世界にハマりやすい傾向がある
だったそうな。
軽く説明しておくと、「回避型」は親密な人間関係が苦手であんま人と仲良くしないタイプ。逆に「不安型」は親密な人間関係が好きすぎるあまり他人からうとまれがちなタイプを意味してます。
どちらも対人関係には害がありまして、「回避型」は「冷たい!」とか「感情がない!」とか思われやすいし、「不安型」は「ウザい」とか「ベタベタしすぎ」とか言われたりするんですな。私の場合は不安がちなくせに回避傾向が強いタイプなので、昔から対人関係にはいろいろと困ってきたもんです。いまはどうでもよくなりましたが。
さて、この結果について研究チームはこう言っておられます。
愛着スタイルの問題を抱えた人にとって、映画やテレビドラマは自身の問題を理解する手段となり、現実生活では築けない親密な人間関係を満たす代替機能を果たしている。たんに架空の世界に逃げ込むためのツールではないのだ。
コミュニケーションが苦手な人は、なぜ自分は他人とうまくやれないのか?の答えを求めてフィクションに耽溺していくんだ、と。
さらに「回避型」と「不安型」がどちらも高い人については、
彼らは「自己破壊」の典型例だ。本当は親密な人間関係を欲しているのに、回避的な行動を取るせいで最後は失敗に終わってしまう。
彼らのような人種に対して、「ストーリー」は安全な場所を提供してくれる。だからこそ、彼らはよりストーリーにのめりこむのだ。
とのこと。回避+不安タイプはとにかく難しい人生を送りがちなので、その問題をどうにかするためにフィクションを使ってるのではないか、というなんだか切ない結論であります。
果たして、フィクションの代替機能が現実の問題解決に役立ってるのかは謎ですけども、過去には「映画や小説はコミュニケーション能力を高めるんだ!説」ってのも出てまして、それなりにリアルなコミュニケーション能力の向上には役立ってるのかなーという気はしております。そこらへんは、おそらくフィクションを最後まで「逃げ場」にし続けるか、意識的に「現実社会のシミュレーター」として使えるかどうかが分水嶺になりそうな気もしますが。