「祈り」は脳の最良の特効薬である | 「脳科学から見た祈り」
中野信子「脳科学からみた「祈り」」を読みました。宗教の世界ではおなじみの「祈り」が、脳科学的にも正しい行為であることを説く一冊。120ページちょいの短い本ながら、内容が明快にまとまっていて楽しめました。
なぜ「祈り」は脳によいのか?
人間の脳は、自分の行動をつねにモニタリングして「その行動がよいのか悪いのか?」を判断している。そのため、他人の幸せを願うポジティブな「祈り」は、ベータエンドルフィン・ドーパミン・オキシトシンといった快楽物質をドバドバと出してくれる。
逆にネガティブな祈りだと、脳がコルチゾールというストレスホルモンを出して対抗。これが慢性化すると、海馬がちぢんで記憶力の減少につながる。海馬は過去の記憶だけでなく、未来につながる「展望的記憶」もコントロールしているので、その機能が弱まると将来への希望を持つ能力が弱くなり、毎日の生活が楽しくなくなっちゃう。まさに人を呪わば穴二つですなぁ。
「祈り」は脳の幸福度を上げる
もう1つの「祈り」の大きな効果が、人間の幸福度をあげてくれるところ。この辺の話は、京大の藤井教授が発表した「他人に配慮できる人は運がいい」って論文がベースになってまして、ざっくり言えば「わがままな人ほど幸福感が低い」ことを実証した研究であります。
自分のことしか考えない人は、短期的には効率よく成果を上げるものの、長期的な人間関係が築けないので最終的には幸福度が低い人生になっちゃう。一方で、他人のことを考えられる人は、困ったときに助けてもらえる確率が高いため、結果的に「運がよい」ように見えるんですな。
このあたりは、利他的な人ほど成功すると説くアダム・グラント「GIVE & TAKE」と同じ発想ですね。
参考:惜しみなく与える者ほど成功する!ーアダム・グラント「ギブ・アンド・テイク」
正しい「祈り」方はあるのか?
いくら「祈り」が脳によいといっても、やみくもにやるだけでは脳が慣れて効果がなくなっちゃう。「祈り」を惰性にしないためには、祈りのたびに目的を意識にのぼらせるといいらしい。
たとえば、一日二回、朝起きてすぐと夜寝る前に「祈りの時間」を持つとしたら、朝には「なりたい自分」「成し遂げたい目標」について集中して祈り、夜には「そのために今日、何ができたのかを反省」そして「成し遂げたい目標のために、次の日にできること」を中心に祈るようにしてはどうでしょうか。
ちなみに、脳が変化を見せるまでには最低でも2カ月は祈ったほうがいいとのこと。
まとめ
そんなわけで、「脳科学からみた「祈り」」のまとめでした。基本的には科学的に「祈り」を検証したまともな一冊なんですが、どうにも惜しいポイントが1つ。出版社が創価学会系のせいだからなのか、妙に日蓮とか法華経とか題目の話が出てくるんですな。いちおう本筋には沿っているものの、一般的な「祈り」の話をしているところへ急に特定宗派の話を持ちだされるとすごく興ざめ。そのへんは残念だなぁ。もったいない。