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心理学的に「本当の自分なんて存在するの?」問題

Self

 

真の自己ってあるのか問題

真の自己なんて存在するの?」って問題について語ってる論文(1)がおもしろかったんでメモ。

 

 

これはイェール大学のレビュー論文で、過去に出た「真の自己とは?」って問題に取り組んだデータをまとめたもの。なんせ、ここ十数年の科学会では「真の自己なんてないのだ!」って考え方が普通でして、あらためてその辺の知見をさらってみたわけですね。

 

 

当ブログで過去に取り上げた例だと、「なぜ『ありのままの自分』になるのは不可能なのか?」などが代表的なエントリ。ざっくりいうと、ヒトの脳は特定の機能を持ったいろんなプログラムの集まりなので、ひとつの機能だけをみて「これぞ真の自己!」と判断するのは不可能だって話です。

 



真の自己を考えても生産性はない

たとえば、「ケーキが食べたい!」と「でもダイエットしないと!」って気持ちを同時に持った場合、どちらが良くてどちらが悪いってことではなく、ヒトの生存機能が同時に起動しただけの話。この2つの衝動のうち、どっちが「真の自己」なのかを考えても生産性はないよなー、という。

 

 

にも関わらず、心理系セミナーなんかだと「本当の自分でいましょう!」みたいなことを言う人がいまだに多かったりして、どうにも困った気になっちゃうわけです。それはどの機能の話をしてるんだ!みたいな。

 

 

本当の自分とは観察者の都合である

もっとも、以上の話は脳科学や神経科学から出てきたものであります。いっぽうで、このイェール大学論文は心理学系なので、「真の自己」に対するスタンスもやや違ってたりします。具体的には、

 

本当の自分なんて存在するのだろうか?本稿でレビューしたエビデンスによれば、この疑問の答えは次のようなものだ。

 

ポイントは、真の自分が観察者の視点によって変化する点だ。例えば、ある人が「ゲイの衝動は間違いだ」と思っていたとしよう。この場合、その人にとっては「ゲイの衝動に抗うことこそが真の自己を反映しているのだ」という判断になるはずだ。

 

また、ある人がサイコパス診断で高い得点を取った場合、その人はモラルに関する特性を真の自分とは思わない。真の自分とは主観的なもので、各人がどのような対象に重きを置いているかの反映でしかない。

 

みたいな感じ。多くの人は、自分が「良いものだ!」と思った性質をホンモノだと思いがちなので、「真の自己」について語ることは、その人の価値観の表明にしかならないんだ、と。これもよくわかる話ですねー。

 

 

みんな道徳的な自分を「本当の自分」と思いたい

実際、心理学の実験で「真の自己」について調べると、たいていの人は「自分が道徳的な行動を取ったときにこそ本当の自分が現れた!」と答えがちだったそうな。たとえば「お年寄りに親切にしてあげた」とか「被災地に寄付をした」とか、なんらかの善行をしたときに、人間は「ありのままの自分が出た!」と思い込むわけですね。

 

 

要するに、私たちの脳には、生まれつき「道徳的な心=真の自分」と解釈するようなバイアスが備わっているという話であります。このバイアスは、自分よりも他人をジャッジする際に起動されやすいそうで、悪い人が善人になった場合は「本当の自分が出てきた」と解釈するのに対して、善人が悪いことをしたときは「環境が悪かったのだ」と判断しがちらしい。基本的に、人間には性善説バイアスがあるわけっすな。

 

 

また、この傾向はほぼヒューマンユニバーサルで、西洋社会はもちろんインドのヒンズー教やチベット仏教なんかにも似た考えが見られるそうな。お釈迦さんなんかはつねに「絶対的な自己なんてない!」と言い続けた人なわけですが、それでも在家には一般的な道徳を説いてましたしね。

 

 

性善説バイアスは生存に有利に働く

では、なぜ人間にはこのようなバイアスが備わったかといえば、ズバリ「生存に有利になるから」。「本当の自己は善なのだ」と信じていれば、もし相手が悪い行いをしたとしても厳しく当たらずにすみますからねぇ。必要以上にグループ内に溝ができないように働くので、進化的にはこっちの方が有利だと考えられるわけです。

 

 

が、困ったことに、これはあくまで集団内でしか作用しないバイアスなので、いったん相手を「自分の仲間じゃない」と判断した場合には起動しないんですな。たとえば、いつもは差別の反対を訴えている人が、少しでも差別的な発言をした相手をクソミソにけなす人格否定をはじめちゃったりとか、わりとよく見かける風景ではないかと思います。

 

 

ってことで以上の話をまとめると、

 

  • 心理学の立場から見ると「真の自己」は見る側の主観に左右される曖昧な現象でしかない
  • 見る側の主観は基本的に「性善説バイアス」に支配されているケースが多い
  • ただし「性善説バイアス」はグループのつながりを守るために生まれた機能なので、外に向けては発揮されない

 

って感じです。 その意味では「身内びいき」や「島国根性」なんかにも真の自己はからんでそうですねぇ。まぁいずれにせよ、ブッダさんが言ってたような無我が達成できれば一番ラクなんでしょうが、なかなかそうもいきませんでねぇ…。

 


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1976年生まれ。サイエンスジャーナリストをたしなんでおります。主な著作は「最高の体調」「科学的な適職」「不老長寿メソッド」「無(最高の状態)」など。「パレオチャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/paleo)「パレオな商品開発室」(http://cores-ec.site/paleo/)もやってます。さらに詳しいプロフィールは、以下のリンクからどうぞ。

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