「自分の頼みなんて誰も聞いてくれやしない…」の心理と、その克服法
「自分が思うよりも、意外とみんな頼みを聞いてくれる」ってハーバード・ビジネス・レビューの論説(1)がおもしろかったんでメモ。内容はタイトルのまんまで、多くの人は自分の説得力を過小評価しすぎてるって話であります。
「自分の頼みなんて誰も聞きやしない」は大間違い
筆者はコーネル大学のヴァネッサ・ボーンズ博士で、昔から「説得力の心理」について調べている心理学者さん。博士が2008年に行った実験(2)では、参加者たちに町中へ出かけてもらい、見知らぬ通行人に「携帯を貸してくれませんか?」とお願いさせたんだそうな。
実験前、大半の参加者は「10人に声をかけても貸してくれるのは1人ぐらい」と予想したんですが、実際の結果はさにあらず。平均で6人につき1人の通行人が、こころよく携帯を渡してきたんだそうな。つまり、多くの人の心のなかには、「自分の頼みなんて誰も聞きやしない」と思い込んじゃう傾向があるんだ、と。
この現象はニューヨーク大が2012年に行った調査(3)にも出ていて、ファイナンス系のビジネスマンに聞き取りを行ったところ、大半が「会社の仕組みや倫理観に疑問を持ってるけど、自分が何かを言っても聞き入れてもらえないだろう」と答えたそうな。
本当は誰だって相手の頼みに「イエス」と答えたい
ボーンズ博士の2013年論文(3)によれば、こういった現象が起きるのは人間が自己中心的な生き物だから。誰かに何かを頼むとき、多くの人は他人の視点にたって物事を考えないせいで、相手が「イエス」と答えたときのコストにばかり意識が行ってしまうんだそうな。
たとえば、通行人から携帯を借りたいとき、私たちが想定するのは、
- 一時的に携帯がなくなって不便になった相手の様子
- 「めんどうくさいことを頼まれたなー」と考える相手の姿
といったシーンばかりなわけですね。これが「イエス」のコスト。
ところが実際には、通行人にとっては「ノー」と答えたときのコストも存在するわけです。たとえば、
- 携帯を貸さないと、嫌な人だと思われてしまう
- 頼みを断ったら、困ってる人の役に立った感覚が味わえない
といった感じ。これが「ノー」のコストであります。ボーンズ博士いわく、
他人の申し出を断りたい人はいない。特に面と向かってお願いされた場合はなおさらだ。多くの場面においてわたしたちは、相手の頼みを断ったせいで感じる恥ずかしさを避けようとする。
とのこと。誰だって悪く思われたくないから、本当は「イエス」と答えたいんだ、と。まあそうですよね。
こころよく頼みを聞いてもらうための4つのポイント
以上の話をふまえたうえで、ボーンズ博士の調査を現実に活かすには、
- とりえず頼んでみる:たいていの人は、他人に物を頼むことすらしないので、まずは考えずに頼むのが大事。
- お願いは直接的に:多くの人は「今週ヒマがあったりする?ちょっと困ってて…」とか回りくどい言い方をしがち。しかし、実際のデータでは、「今週末に仕事を手伝ってくれない?」と直接的に切り出したほうが、頼みを聞いてもらえる確率はあがる。
- 何度か頼んでみる:いったん「ノー」と言われると、たいていの人は気持ちが折れてしまいがち。ところが、博士の実験データによれば、いったん「ノー」と言った人ほど、次回のお願いを受け入れてくれる確率は高くなるんだそうな。以前に「ノー」と言ったことに対して、無意識のうちに罪悪感を持つのが原因らしい。
- お返しは必要なし:他人に何かをしてもらう際には、ついお返しを提案したくなるもの。しかし、博士の研究では、お返しを切り出さないほうが、頼みを聞いてもらえる確率は高まる。多くの人にとっては、他人の悩みを手伝ってあげたという事実が、なによりのインセンティブになるみたい。もちろん、後でお返しをするのは十分にアリ。
といった感じ。人に物を頼むのが苦手なわたしにとっては、なんとも身につまされる研究でありました。
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