なぜ情報を遮断すると賢くなれるのか?──心理学が教える“選択的無知”の効果
情報が激増する現代。日々のニュースやSNSの通知、メールの受信音に気を取られているうちに、「あれ?もうこんな時間!?」なんて思ったことがある人は少なくないでしょう。
こんな情報の洪水のさなかにあって、近ごろよく心理学の世界で耳にするようになったのが「意図的無知(willful ignorance)」という考え方であります。これは、文字どおり「情報は得られるのに、あえて知らない」って行為のことで、いくつか例を挙げてみると、
- インスタやXで友人や有名人の「キラキラ投稿」を見ないようにする
- 検査項目の軽微な異常値について、ネット検索で深堀りしすぎない
- 自分が発信したブログや動画にネガティブな意見が来ても、見ない選択をする
- 家電や保険などの購入時、最初から3つまでに選択肢を制限する
- 災害・戦争・経済危機の報道など、必要以上に見ないようにする
みたいなことです。名前に「意図的」とついてるとこがミソで、これはただの無関心や怠惰ではなく、「この情報は必要ない!」と自分で判断して、あえてスルーする選択なんですな。
近ごろコーネル大学などの先生が出したレビュー論文(R)でも、この意図的無知が「ストレス軽減や客観性の向上に役立つよ!」って話を報告してくれてまして、こいつがなかなか参考になります。
このレビューによると、まず「意図的無知」の効能は、以下のようになっております。
- 意図的無知は感情のバリアになる:たとえば、職場で重大な人事異動があったときに、すべての噂や情報を追っていたら、不安や嫉妬が湧き出てきて、パフォーマンスの低下につながってしまうはず。しかし、ここで「あえて耳をふさぐ!」って選択肢を選べば、ネガティブな感情を自己防衛できるわけですね。
もちろん「知らないことがすべていいわけではない」のは間違いないものの、短期的な感情的ダメージを避け、人間としての心の“休憩”時間をつくるには、あえて情報にフタをするのも正解だったりします。
- 意図的無知は判断の公平性を保つ:科学の実験では「誰が薬を飲んだか」を研究者にも分からないようにするのが一般的ですが、意図的無知のメリットもこの理屈と同じ。たとえば、近年は就職面接で「名前」や「出身校」「年齢」といった情報を伏せて評価するケースも増えてきましたが、これもあえて情報を制限することで偏見を排除し、本質に基づいた判断を可能にするための施策だと言えましょう。
- 意図的無知は情報過多による決断疲れを防ぐ:ネットでレビューを読みすぎて何も買えなくなったり、保険のプランを調べすぎて逆に決められなくなるみたいな「決断麻痺」はよくあることですが、ここで“意図的な無知”を実践すると、適切なサイズの情報だけに絞ることができるので、それだけ意思決定にともなう問題を回避できるわけです。
こうして見ると、どれも納得の原因なんですけど、そこで気になるのが「じゃあ、“意図的無知”をどう実践するの?」ってところでしょう。具体的な実践はなかなか難しいんですけど、だいたい以下のようなポイントが考えられるでしょう。
- ポイント1:「知りたい」ではなく「必要な情報か?」を自問する:とりあえず最も重要なポイントとしては、「その情報は今の判断に本当に必要か?」「その情報は行動に直結するか?」って2つを意識することでしょう。これによって「無駄な情報の受け流しスキル」が鍛えられますんで。たとえば、「投資信託に関する指数や過去の成績まで全部調べたい!」と思っても、「現在のリスクと手数料だけ知れば決断に支障はないな……」みたいに考えるわけですね。
- ポイント2:自分の「情報過信」を振り返る:「情報が多ければ多いほど判断は正しくなる」ってのは、正しい時もあれば正しくない時もあったりします。たとえば、買い物で「ベストセラー1位」の文字に引っ張られて商品を買ってしまったときは、とりあえずその「購入を決めたプロセス」や「購入にいたる感情の動き」を紙に書き出して、後から振り返ってみるのも有効。これにより「なぜそれを選んだのか」「本当に重要だった情報は何か」を客観視できるようになり、次回からの判断がより洗練されていくはず。
- ポイント3:とにかく情報の断捨離をしておく:メール通知を朝と夕方の2回だけ受け取る、SNSは見る時間を1日10分に制限、ニュースアプリは一切開かない日をつくるなど、情報の摂取に関する小さなルールを決めておく方法。めっちゃシンプルではあるものの、なにせ人間ってのは、ちょっとした細かい事でも、事前に決めておかないと、なかなか取りかかれない生き物なので。
とりあえず、このへんは基本中の基本ということで、ぜひ押さえておきたいところです。もちろん、情報を避けているうちに対処すべき問題から目を背けてしまうリスクもありますんで、「いつ」「どこまで」「なぜ」情報を遮断するのか、自分なりの判断軸を持つのが大事ってことになるんでしょうな。
もうちょいくわしい例を見ておくと、
- 転職活動中の“意図的無知”:転職のタイミングになると、メーカーとコンサルの給与比較や業界ニュースを読み込みたくなるはず。でも、条件を細かく見すぎると判断疲れしちゃうので、「自分が本当に大事にしたい雇用条件だけをリストアップ!」して「そこだけを比較対象にするぞ!」と決めることで、意思決定をクリアに保つ。「科学的な適職」と同じやり方ですな。
- 診断における“意図的無視”:健康診断で複数の「リスク要因」が出ていると、本を読んだりネットを検索してパニクったりするケースはままあるもの。そんな時は、「医師の説明と再検査の結果だけに集中する」「余計なネット情報はシャットアウトする」と決めて、次の行動を考えやすくする。
みたいになりますね。いずれも“必要な情報にだけアクセスする!”って態度が大事なんで、そこだけでも保っておきたいところであります。
簡単にまとめると、「意図的無知」は情報の洪水から心を守るための意識的な選択で、認知負荷からの解放になるという利点を持っております。そのために、「この情報が本当に必要か?」を自問し、「なぜ知りたいのか?」を自覚し、「情報から自分を守るルール」を持つことが有効になる……って感じですね。これは自分もさらに意識しないとなー。