タモさんが語る浪人時代のマインドフルネス体験がイカしてる件
「コントに捧げた内村光良の怒り」という芸人の評伝集を読んでたら、第三章「タモリと少年期」に「これはマインドフルネス体験だ!」としか言いようのない話が出てたんでメモ。
なんでも、タモさんは浪人生時代にふと坐禅を組んでみたくなり、見よう見まねで足を組み目をつぶってみたことがあったんだそうな。その際の体験は一般的な瞑想のパターンとほぼ同じで、
- まずは、いろんな雑念がガンガンわいてくる
- いろんな言葉が浮かびまくる
- それでも目をつぶり続ける
- トランスのような『変な状態』に入る
- いろんなことがどうでもよくなってくる
といった感じ。通常、「変な状態」に入るにはかなりの集中力が必要なんですが、そこをサクッとこなしてしまうあたり、さすが天賦の才能があったのかもしれません、よほどヒマだっただけかもしれません。
で、どうでもよくなったタモさんは、ここでふと目を開けたそうなんですが、ここからの体験がマインドフルネスの極地。本文を引用しますと、
そこでタモリの視界に飛び込んできたのは、見慣れたはずの窓の外のねずみもちの木。それがなぜか新鮮に美しく見えて感動したというのだ。
「フッと窓の外を見ると木の葉が揺れている。風が吹くから揺れるんだけど、それがえらく不思議でもあり、こわくもあり、ありがたい」
「それを『不思議』と言ったときは、もう離れてしまっている感じがするんですよ。ほんとうは、まったく余計なもののない、コトバのない意識になりたいというのがボクにある。ところがどうしても意識のあるコトバがどんどん入ってきてしまう」
といった感じ。言葉のフィルタを通さずに物事を見るのは、まさにブッダさんが目指したところで、この状態をつねに保てば「解脱」と呼ばれるわけですね。
もともと、同じ著者の「タモリ学」を読んだときも「タモさんの考え方は初期仏教に近いなー」とか思ってたんですけども、すでに学生のころからマインドフルネスを体験してたんすな。いやー、おもしろいもんです。
Glasses by Marc Anderson from the Noun Project