現代では空気を読まない人間のほうが上手くいく!「きずなと思いやりが日本をダメにする」
少子化は母性が失われたせいではない!
「きずなと思いやりが日本をダメにする」を読み終わり。当代一の行動生態学者と社会心理学者による対談集で、予想を超えて楽しい本でした。
いろいろとポイントの多い一冊ではありますが、個人的に良かったのが、
- 社会問題のほとんどは「心の変化」ではなく「環境の変化」によるもの
- 「日本人らしさ」と呼ばれるものは、日本に住む人間が固有の環境に適応した結果にすぎない
ってあたりを身もふたもなく説明してるとこ。例えば「少子化問題」などは、ともすれば「母性が失われつつある!」みたいな説明がまかりとおるわけですが、本書では、
- そもそも人間の子育ては、進化の過程で父母だけでは足りないようにできああがった
- たいていの部族社会でも、祖母や祖父がいないと子育ての資源は足りない
- ゆえにコミュニティが希薄になった現代では少子化が当たり前!
って流れになるんですな。要するに「心」みたいな適当な変数で説明せずに、人間の生物的な特徴をちゃんと見て制度を設計したほうがいいよって話です。このへんは近ごろ流行りのマーケットデザインとも関わる話で、私も激しく賛成。
「日本人らしさ」は閉鎖的な社会から生まれた
で、もういっこ面白いのが「日本人らしさ」の話。日本人といえば「礼儀正しい」とか「控えめ」とか「陰湿」とか「自己主張が下手」などの評価が定番ながら、2人の説明では、そもそも「各国の人に特有の性格なんてものはない!」んだ、と。
どういうことかと言うと、
- 日本は昔から人や情報の移動が少ない環境だった
- 閉鎖された社会では人間関係が密接になる
- 人間関係が密接な社会では、礼儀正しく控えめに暮らすほうが得
- いっぽうで人間関係が密接だと心の読み合いが多くなり不信感も生まれやすい
- 日本人らしさの誕生!
みたいな流れです。こうして見るとアメリカ人の「自己主張」とか「マイペース」とか「勝負好き」みたいなイメージは、流動性が高い社会に適応したスタイルってことかもしれませんな。
現代では空気を読まない人のほうが適応的
となると、ここで気になるのは「日本もだいぶ流動的にはなったんじゃないの?」ってとこでありましょう。ここは2人も指摘していて、人や情報の移動が楽になった現代では「空気を読まないほうが適応的なはず」だと言い切っておられます。
が、いっぽうで世間的には、まだまだ「空気を読む」のがよしとされる「空気」が色濃いのもまた確かではありましょう。これはなぜかといえば、過去に起きた適応がいったん暗黙のルールとして定着しちゃって、いまでは「空気を読む」戦略が均衡状態になってるからじゃないかと推定されております。
つまり、すでに現代では「空気を読む」のは意味がなくても、みんなが「空気を読む」戦略を取り続けているせいで均衡が崩れないわけですな。なかなか個人の力じゃどうにもならない話ではありますが、とりあえず「現代では言いたいことを好きに言うほうが適応的な行動なのだ!」って考え方には、勇気づけられるものがありますな。
プレディクタブルになろう!
もっとも本書の最後には、山岸先生がひとつの処方箋を提示しております。いわく「思いやり」とか言って他人との関わりを避けてると社会が衰退していくので、みんな「プレディクタブル」な人間になろう!みたいな感じ。
プレディクタブルを意訳すると「わかりやすい人」のような意味合いで、
- 自分の価値観をハッキリ表明している
- いつも価値観にもとづいた行動を取る
といった特徴を持った存在のこと。簡単に言えば「言行一致」を徹底してる人ですね。要するに、
- プレディクタブルになる
- 他人がこちらの行動を予測しやすくなる
- 他人から信頼感される
- 流動性の高い社会では有利に!
って考え方であります。どうせ他人の心なんて読めないんだから、自分を読みやすくしちゃったほうが楽なわけですな。なるほどねぇ。
まとめ
そんなわけで、現代を生物の根っこから見てみた楽しい一冊でした。他にも本書には、「人間の心に差別を否定する心はデフォルトで装備されていない」とか「『神』が生まれたのは他人の目を気にする性質が内面化したもの」といった面白いネタが満載。一流の科学者に特有の身もふたもない話が好きな方は、ぜひどうぞ。