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罪悪感と恥を「メンタルの敵」から「人間関係の修復ツール」に変える方法

  

 

「罪悪感」とか「恥」ってのは、だいたい嫌な感情の代表みたいに扱われがちだったりします。特に近年の心理学では「恥」の感情の重要性を強調することが多く、抑うつ状態をもたらす大きな原因とされることもあったりします。

 

そのため、現代のメンタルヘルス界隈では、こういう感情に対して「自分を責めすぎないで!」「罪悪感を手放そう!」「恥の感覚から自由になろう!」みたいなアドバイスがよく出てくるわけです。これが重要な視点であるのは間違いなく、過剰な自己批判がメンタルを壊すケースは山ほどありますからね。そこらへんの問題に興味がある方は、『恥(シェイム)』『「恥」に操られる私たち』などをお読みください。

 

が、一方で、ここで気になるのが、

 

  • 罪悪感や恥って、本当にただの悪者なの?

 

という問題であります。なにごとにも闇があれば光があるもんで、罪悪感や恥にもメリットがあるはずですからね。

 

というところで、清華大学などの新しい研究(R)では、「罪悪感」と「恥」のメリットを調べてくれていてタメになりました。

 

まず用語から整理しておくと、心理学では「罪悪感」と「恥」は、ちょっと違う感情として扱われております。簡単に言うと、

 

  • 罪悪感:自分の「行動」が悪かったと感じる

  • :自分という「人間」が悪い、欠けていると感じる

 

みたいな違いですね。たとえば、友人とのランチの約束を忘れて、夕方5時に「あ、すっぽかした!」と気づいたとしましょう。このとき、「友人に悪いことをした。早く埋め合わせをしないと」と思ったなら罪悪感。一方で、「自分はなんていい加減な人間なんだ……」と思ったなら恥です。なので、一般的には、罪悪感は「修復につながりやすい感情」で、恥は「自己否定につながりやすい感情」みたいに言われることが多いんですな。

 

そこで研究チームが何を調べたのかと言いますと、彼らは複数のオンライン成人サンプルや大学生サンプルを使って、

 

  • 罪悪感を感じやすい人

  • 恥を感じやすい人

  • その両方を感じやすい人

 

が、どんな性格特性やメンタル傾向を持っているのかをチェックしたんですよ。

 

で、その結果がどんなものだったかと言いますと、

 

  • 罪悪感と恥はかなり重なっていて、その共通部分は、わりと道徳性や共感性と結びついていた!

 

という感じだったそうな。より簡単に言い換えれば、罪悪感や恥を感じやすい人は、たんにメンタルが弱いってだけではなく、他人の痛みを気にしやすく、協調性や誠実性が高い傾向もあったってことです。

 

また、これと同時にデータでは、罪悪感や恥を感じやすい人は、誇大的なナルシシズムにハマりにくいって傾向も確認されております。要するに「やらかしたときに胸が痛む人ほどナルシシストになりづらく、他人を傷つけっぱなしにもしにくい」という話ですが、これは当たり前の話でして、もしまったく罪悪感を感じなかったら、誰かを傷つけても「まあいいか」で終わっちゃうでしょうからね。その意味で、罪悪感と恥ってのは、人間関係における「警報装置」みたいに働いてるんでしょうな。

 

そう考えると、もちろん恥と罪悪感のせいで自己批判が強くなりすぎるのも問題なわけですが、「罪悪感なんて持たなくていい」みたいに言い切っちゃうのも、かなり危険ってことになるでしょうな。なぜなら、罪悪感や恥ってのは、こちらに大事な情報を教えてくれる存在でして、たとえば、

 

  • 誰かを傷つけたかもしれない!
  • 私はこの人を大事に思っているのだ!
  • 同じことを繰り返さないために、何かを変える必要がある!

 

ということですな。つまり、罪悪感と恥は、邪魔な存在として扱うのではなく、読み解くべきシグナルとして扱ったほうが有用なんでしょう。

 

では、罪悪感や恥をどう使えばいいのか?ってとこが気になりますが、今回の研究をふまえるなら、

 

  • 罪悪感は「何を直すか?」を分析する材料に使う

  • 恥は「なぜそれをしたのか?」を分析する材料に使う

 

みたいに区別するのがいいでしょうね。ちょっとわかりづらいので、例を挙げて説明してみると、こんな感じになります。

 

  • 罪悪感が出てきた場合:まずは行動に落とし込むことを考える。たとえば、「誰に何をしたのか?」「相手は何を失ったのか?」「自分は何を埋め合わせられるのか?」「謝罪以外に、再発防止として何ができるのか?」みたいに、今後すべき行動の分析に使ってみる。
  • 恥の感覚が出てきた場合:もう少し深い自己理解に使ってみる。たとえば、あなたが誰かの秘密をバラしてしまい、「私はヒドい人間だ!」と考えたなら、「なぜ自分はその場で秘密を話してしまったのか?」「場を盛り上げたかったのか?」「自分が情報を持っていると見せたかったのか?」「沈黙が怖かったのか?」「相手の境界線を軽く見ていたのか?」みたいに考えてみる。こういう問いを考えることができれば、恥をただの自己否定じゃなくて自分のクセを発見する材料になるんで、「自分には、場を盛り上げようとして他人の情報を使ってしまうクセがある」というレベルまで具体化できればOK。

 

ということで、この研究から得られる教訓をまとめるなら、「罪悪感や恥をなくすことを目指すより、それを責任に変換したほうがいい」みたいなことでしょう。人間は誰でもやらかすことはありますんで、そのあとで罪悪感や恥をちゃんと使えると、長期的には共感性が高まり、人間関係も深まりやすいんじゃないか、と思うわけです。まぁ、言うは易しですが、罪悪感と恥が有用な感情になり得るのは間違いないんで、そこは気にしておきたいっすね。


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1976年生まれ。サイエンスジャーナリストをたしなんでおります。主な著作は「最高の体調」「科学的な適職」「不老長寿メソッド」「無(最高の状態)」など。「パレオチャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/paleo)「パレオな商品開発室」(http://cores-ec.site/paleo/)もやってます。さらに詳しいプロフィールは、以下のリンクからどうぞ。

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