他人を楽しませたい時にジャマになっちゃう「過大評価バイアス」の恐怖
みんな他人の喜びを過大評価しすぎだ!ってな研究(R)が出ておりました。
これはニューヨーク大学の調査で、17,594人を対象に12の実験を行ったもの。すべてまとめるのは大変なので、ざっと重要な実験だけピックアップしとくと、まず序盤に行われたいくつかの調査では、参加者に対して、
- 自分だったら最新映画のチケットにどれぐらい支払います?
- 他の人は同じ最新映画のチケットにどれぐらい支払うと思います?
といった質問をして、「自分の評価」「自分が他人に下す評価」の差をチェックしたんですよ。すると、その結果は「ほとんどの人は実際よりも『他人は映画を楽しむだろう』と判断した」だったんだそうな。この傾向は他の実験でも同じで、トレッドミル、個人運転手、パリへの旅行券などでも、やはり多くの人は他人の喜びを過大評価しがちだったらしい。いわば過大評価バイアスですな。
でもって、さらに別の研究では「過大評価バイアスって嫌なことを避けるときも影響するの?」ってとこまで調べてたりします。たとえば、
- 徹夜で外出するためにお金を払うか?
- 激辛なハラペーニョの唐辛子を3個食べるのを避けるためにお金を支払うか?
みたいな架空のシナリオを参加者に伝えて、同じように「他人はどれぐらい支払うと思うか?」ってのを尋ねたんですね。その答えはやっぱり先の実験と同じで
- ほとんどの人は、実際よりも『他人はネガティブな事態を避けるために大金を払うだろう』と判断した
- ついでに、多くの人たちは、「自分が同じネガティブな体験をしても、他人よりはそこまでヒドい気分にならないだろう」と判断した
だったんだそうな。よく「人間は他人の問題や性質を見抜くのが得意」みたいなことを申しますが、他者が喜ぶだろうものを判断する際には判断がゆがむってことみたいっすね。
この結果について研究チームいわく、
社会的なコミュニケーションにおいて、私たちはひんぱんに他人の好みを予測をしなければならない。自分がおすすめの小説を友人はどれくらい楽しんでくれるだろうか? こちらがフィードバックをするまで同僚はどれくらい待てるだろうか? 自分が売りに出したい中古のゴルフクラブのセットを、みんなはいくらで書いたいと考えるだろうか? このようなシチュエーションにおいて、過大評価バイアスは、重要な意味を持っている。
とのこと。確かに、他人にプレゼントをわたさねばならないような状況では、過大評価バイアスはかなり足を引っ張りそうですもんね。
ちなみに、この研究では過大評価バイアスを減らす方法もチェックしていて、
- 発生するイベントに明確なデメリットが存在しなければ、バイアスに飲み込まれず正確な判断ができる
- 判断する前に「人間というのは多様な好みと評価の軸を持ってますよね!そのことについてちょっと考えて見ましょう!」と指示するだけでも、過大評価バイアスは減る
だったそうです。「明確なデメリットが存在しないイベント」ってのは、たとえば「100万円をもらう」みたいな出来事のことでして、確かにこれなら判断はゆがみにくそうっすね(実際、「最強のプレゼントはなんだかんだで現金」みたいな話もありますからね)。
さらに研究チームいわく、
私たちは他人の好みを理解することはできる。しかし、「他人にはもっと別の好みもあるのでは?」といった思考をふくめて全体的に考えるためには、明示的にそうすることを強制されない限り、自発的に他人の好みについて深く考えようとはしない。
ってことなんで、とりあえず、「もしかしたら過大評価にダマされてないか?」と疑ってみるだけでもだいぶ違ってきそうではあります。注意しとこう。